長岡駅近く、栃尾鉄道・廃線跡の遊歩道。出来たころは「シンボルロード」と命名されていたが、私自身その名前を今ほとんど使ってないことに気づき、近隣住民はいまもふだんそう呼んでいるのかな、なんて思ったりした。よくわからないが、実際どうなのだろう。
ここのところ
「10年前」とか「20年前」とかの周年単語をキーワードにしていたが、こちらの彫刻をふと見たら1993年。ちょうど20年前。
昨日、「長岡地区高校美術・書道展」に行った際、会場の図書館入口のインフォメーション棚で見つけた「堀口大學講演会」。ちょうど
マイスキップ新年号、インフォメーション欄の原稿を書いていた最中だったから、そちらにも入れてみようかと思ったところ。
第17回堀口大學講演会
「堀口家の家中ことば」
堀口大學少年は明治時代長岡で、祖母ちよからどのような長岡弁を聞いて育ったのか?大學は長岡の方言を使っていたのか?と、新潟県ことばの会代表幹事の土井清史さんによる講演。
日時:1月11日(土)14時~(開場13時半)/入場無料
会場:長岡市中央図書館
第一講義室
主催:『長岡★堀口大學を語る会』
歴史の分岐点になる可能性もなきにしもあらず、というより「分岐点」にならないことを祈りつつ、備忘録として今朝の新聞を。
「知る権利」侵害懸念というのは、たしかにそれはそうなんだけど、ぢゃあ「知る権利」がこれまで実際にどう保障され大切にされてきたかと考えれば、法が成立したからといってすぐさま状況は変わらないし、
民主主義が壊されるというのも、ぢゃあ明日から一気に…ということもないのだろうけど、でもこの場合逆に怖いのは、「生活の上では、今すぐ大きく何かが変わるわけではない」ということ。
人々が気付かないうち、ゆるゆると「壊されていく」としたら
茹でガエルの寓話のよう。いまのゆるんだ流れのなかでは、それが決してないとも言えず、むしろ十分想起できる話だから。