黒川紀章設計の、銀座・中銀カプセルタワー(1972年竣工)の解体工事が今日から始まっていたと、いまになって何故か流れてきて見た3日前の日刊スポーツ紙の記事で知る。
この建物の解体については矢張り“美術”としてのトピックスはあるようで、「美術手帖」でも記事になっていた↓。さすが美術手帖なのは写真が綺麗。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/25437

昨年撮っていた現代美術館のそれとは違って思い入れがそう強くあるわけではないから要はたまたまなのだが、解体工事が始まっているさまを通りがかりに見つけた。長岡の青少年文化センターだった建物。



この建物は数年前にたしか外観写真を載せてたよなと検索してみたら、マイスキップに3箇所名前が記されたなんてのが先に出てきてちょっと驚いた。2018年の12月号のこと。そういえば同紙では閉館前に特集を組んでいる。取材執筆担当は私ではないですけど。

この写真でドキリとする人もそう居ない…というかほとんど居ないと思うけれど、久しぶりに長岡駅近辺を歩いた先週偶然発見して、撮ったもの。木に隠れてよくわからない交差点右側の建物は河井継之助記念館だが、本題はそちらではなく左側の空き地。ここにあった古い建物が知らないうちに解体されていたということで、重機はまだいたからおそらく解体直後と思われる。
前身は倉庫かあるいは工場だったかのようなその建物はずっと何十年も屋内型貸し駐車場として使われていて、ただ古びた建物で凝った建築外観があるわけでもないけれど、その佇まいが実にいいと面白く思っていた。 こうした“詠み人知らず”の建築に面白がるのは私だけではないようで、2年前に長岡在住スケッチ画家・野田英世さんの個展を横浜で企画した際、野田さんからDM掲載用にと呈示されたのが偶然にもこの建物のスケッチだった。氏の思い入れを反映するかのように、タイトルは「街角のカテドラル」と付けられている。
その作品はちょうどいま、長岡市笹川眼科の院内(待合室)に飾っていて、またかつての建物の写真は(何かの拍子に撮ってるとは思うが)すぐ出てこないからと、2年前のDMとともに下に載せてみた次第。 ちなみに書けば作品の販売対応も可です。お問い合わせはアトリエZenまで。
2018年の「野田英世展-歩いて描いた新潟スケッチ」DM
長岡市・笹川眼科で現在展示中の「街角のカテドラル」
解体工事がすすむ旧大和長岡店。向かい側のビルも解体工事がすすめられていて、着手は大和よりも遅く見えたが、ホワイトボックスと化し内部の工事進捗が見えない大和を前に、その建物はもうほぼなくなっている。先週の撮影。



マイスキップ9月号「建物の記憶」というコラムでは旧大和長岡店を取り上げていて、記事中に入れた建物外観画像2枚のうち1枚は“向かいの古いビル屋上から”私が撮った写真を使ったが、その古いビルが今回解体されたというわけだ。
美術関係にいるひとだと「安達ビル」というとピンとくるかもしれない。ここ数年「芸術工事中」といったアートイベントや長岡造形大生の展覧会が開催されてたからだ。5年前に、古い雑居ビルを使ったアートスペースプロジェクトを長岡造形大学が絡んですすめていると書いているのでリンクを貼っておく。下の画像はおそらく9月下旬くらいの撮影と思うが、アップしようと思ってそのとき準備しつつも(たぶん忙しかったとかで)あげていなかったもの。安達ビル。いまはなきそれが、blogの“下書き”欄に残っていた。



マイスキップ9月号「建物の記憶」というコラムでは旧大和長岡店を取り上げていて、記事中に入れた建物外観画像2枚のうち1枚は“向かいの古いビル屋上から”私が撮った写真を使ったが、その古いビルが今回解体されたというわけだ。
美術関係にいるひとだと「安達ビル」というとピンとくるかもしれない。ここ数年「芸術工事中」といったアートイベントや長岡造形大生の展覧会が開催されてたからだ。5年前に、古い雑居ビルを使ったアートスペースプロジェクトを長岡造形大学が絡んですすめていると書いているのでリンクを貼っておく。下の画像はおそらく9月下旬くらいの撮影と思うが、アップしようと思ってそのとき準備しつつも(たぶん忙しかったとかで)あげていなかったもの。安達ビル。いまはなきそれが、blogの“下書き”欄に残っていた。
道中、解体用の足場が組まれ出した旧大和と旧長岡現代美術館のゾーンを通るからと、また今この場でしか撮れないものだからと、しばしカメラにおさめていた。そういうときに徒歩移動というのはいい。夕方でも30℃越えの暑い日はうんざりだったけれど。
画像はまず大和のほう。数日前の画像と間違い探し的に違いを見るなら、80年代大改装時に設置されたアスロックみたいな外装材に開口が作られている。また大手通り挟んで反対側のビルも解体されるようだ。古いアーケードもそれに合わせて途中で切断されている。

立川総合病院が神田にあったときの旧建物。解体工事が始まリ出したよう。
なんて写真を載せると、緊急事態宣言で不急の外出自粛が求められてるのにと言われそうだけれど、(だから書き添えれば)街をふらふら散策してたわけでなく仕事の移動中にたまたま見つけたもの。
長岡はいま大きな病院は皆が皆、バイパス沿いの、車で行くのには便利な場所に、逆に言うと車が無いと行きづらいところに移転してしまったが、日赤病院、中央病院、立川病院と嘗て長岡駅近辺にあった。3院のなかで最初に「駅から離れた」ところに移転したのは互尊文庫近くにあった立川病院で、駅から離れたと当時は見えてもまだ近かった神田の地から、さらに離れて近年移転したというわけだ。ひとつくらい駅から徒歩圏内に残してもらえるとよかったのだけどね。
まぁそんなことはさておいて、互尊文庫近くのその旧々立川病院は円柱状の建物だったと、上を書いてたら思い出した。思い出したと言っても幼少のころに見たはずのごく微かな記憶程度のもので、実はほとんど知らない。昔のものだからwebにも出てないと思い込んでいたが、何気に検索したらどなたかがアップしてた外観画像が出た。貴重写真で驚いたものの、でもそれ見ても、微かな記憶はやっぱり曖昧なもの。
長岡市内、表町にあるカトリック教会の建物が解体工事中であった。先日、エックス展Xのため在廊していた呉服町のギャラリーから別仕事の打ち合わせで駅近くの喫茶店まで徒歩で向かったのだが、その際に見つけている。打ち合わせの指定時間には少し間もあったものだから、しばし外観の見学。



長岡には「長岡駅をはさんで東側と西側に二つのカトリック教会があり、東側が福住教会で1929年の献堂、西側は表町教会で1963年の献堂」と“司教の日記”というblogに書かれていた。そこから続けて引用すると「この二つの教会、福住教会と表町教会は距離にして1キロ強。(2014年)1月1日をもって一つの小教区として合併することになり、聖堂は西側の表町教会」となったよう。
一方の福住教会のほうは併設の聖母幼稚園とともにその後建物は除却されている。歴史的なことは知らなかったが個人的に思い入れがあったことから、その建物除却についてそのときblogに記していた。今回、エックス展会場に来られたかたが事情通でその「聖母幼稚園とカトリック教会(福住教会)」の話をちょうどしていて、その矢先に「表町教会」解体現場を目の当たりにしたものだから、偶然の符合のよう。
私の場合どうしても建築物のほうに意識がいく。歴史的なことは知らなかったと書いたけれどそのとき福住教会の建物の由来について伺い、その貴重性は除却前にぜひ写真を撮らせてもらうべきだったと思っていた。その福住教会の跡地はいま(マンションらしきものが)建設中でもう様相を異にしているけれど、表町教会のほうは建て替えのための解体ということなのだろうか。



長岡には「長岡駅をはさんで東側と西側に二つのカトリック教会があり、東側が福住教会で1929年の献堂、西側は表町教会で1963年の献堂」と“司教の日記”というblogに書かれていた。そこから続けて引用すると「この二つの教会、福住教会と表町教会は距離にして1キロ強。(2014年)1月1日をもって一つの小教区として合併することになり、聖堂は西側の表町教会」となったよう。
一方の福住教会のほうは併設の聖母幼稚園とともにその後建物は除却されている。歴史的なことは知らなかったが個人的に思い入れがあったことから、その建物除却についてそのときblogに記していた。今回、エックス展会場に来られたかたが事情通でその「聖母幼稚園とカトリック教会(福住教会)」の話をちょうどしていて、その矢先に「表町教会」解体現場を目の当たりにしたものだから、偶然の符合のよう。
私の場合どうしても建築物のほうに意識がいく。歴史的なことは知らなかったと書いたけれどそのとき福住教会の建物の由来について伺い、その貴重性は除却前にぜひ写真を撮らせてもらうべきだったと思っていた。その福住教会の跡地はいま(マンションらしきものが)建設中でもう様相を異にしているけれど、表町教会のほうは建て替えのための解体ということなのだろうか。