旧長岡現代美術館(前長岡商工会議所)、昨日2日の光景。特徴的だったアーケードは除却が終わっていた。

ここのアーケードは建築構造としても建物一体型だったし、無いとデザイン的に格好がつかないのがよくわかる。
昨日の柏崎からの帰路に撮影した旧長岡現代美術館。解体工事も進捗しているようで、(建物躯体と一体化されていた)アーケード部分から取り掛かっているようだ。シートに包れて視界からはすでに消えている。



軽い口内炎の症状…なんてのは書いたそばからすぐ自然治癒したが、その前後なかなか時間取れずにいて、旧大和や現代美術館がある街区の再開発(建物解体)ゾーンにずっと行けないでいた。ようやく昨日、駅近辺まで用事があったことをいいことに、足をのばして回ってみた。
旧現代美術館前の道路には、解体のためと思われるフェンスが、旧現代美術館とは反対側の歩道のほうに設置されていた。

現代美術館の前庭は「手摺」も一部を残して既に外されている。「関係者以外立入禁止」の表示は前に来たときは無かったもの。
建物の裏側を見上げると(↓)、解体用の足場が組まれていた。

遠く大手通りアーケード越しに。
旧長岡現代美術館、6月1日の光景。
おそらくこのあと解体に向けて仮囲いもされるだろうが、現状は、まるで何事も無かったかのように止まった状態。昨日夕方はこの近くで会議があったから通りがかってみたが、変化は特になし。遺されている石の写真を撮った。
別に自転車に乗って行ったわけでなく、どなたかの自転車が堂々と停め置かれていて、この不思議な堂々ぶりを見ながらそんなさまを入れる。

これまで個人的には「旧長岡現代美術館」という呼称を使うようにしていて、でも紙媒体などに書くときはそれだとわからないから「現長岡商工会議所」という呼称もカッコ付きで入れていた。けれど同商議所は引っ越し(移転)が完了し、建物は既にシャッターで閉ざされている。「旧」長岡商工会議所となったわけですね。


外壁レリーフは取り外し時に、のちの保存のために壁面に位置を記していて、その痕跡が手の指のように見えた。
【「その痕跡が手の指のように見えた」件について5月6日追記】
かつての講義録の
手始めに手を描くということ
なんだかしつこく載せているように思うけれど、まぁこれで最後になる気もするからと「
今日の旧長岡現代美術館」。正確に書けば“昨日”夕方の光景。外壁レリーフの取り外しは今週完了したもよう。

下はその数日前、最後の1スパンの作業中の光景。こうした作業を注視するひともそういないと思っていたが、マイスキップにも寄稿していた知人のIさんも、外回りの仕事中によく見られていたようだ。氏に昨日たまたま会ったらそんな話を聞いた。


郵便局に用事があり、近くだからとついでのように旧長岡現代美術館の前まで。昨日の話。
レリーフ取り外し作業もだいぶすすんでいる。今日あたりで全部外れるのではないか。


旧長岡現代美術館、外壁レリーフ取り外し工事現場。
全4スパンのうち左から2スパン、すなわち半分が取り外されたよう。

搬出トラックの進入部分、手摺も一部取り外されている。言わずもがなだが前庭もトラック運搬仕様にと固められ、
黒い大きな石は所在無さげにいる。そんな光景に触れ、前庭も手摺も斎藤義重作品の重要な要素であったと改めて思う。
My-Skipの今月号(4月号)に書いたコラムには
旧長岡現代美術館に関し「(特徴的な)外壁レリーフはすでに取り外されていることだろう」と記していて、でも紙面発行時点では取り外されてなかったから、「だろう」という推定表現だからおかしくはない云々言い訳をあとからblogに書くはめになってたけれど、その取り外し工事は今日から始まったみたい。
仕事帰りの夕方、帰り道にその前を通ってみたら気づいた。

ひとつの時代の終わりなのか、それとも始まりなのか。
今日は客先での打ち合わせを夕方から。
帰路はちょうど通り道になるのをいいことに、旧長岡現代美術館の前に。
外壁レリーフは今月取り外されるらしいけれど、今日のところはまだそのまま。
(2020.03.23 pm20:30)


昨日の日曜日、15日の光景。
旧長岡現代美術館の前を通ってその隣、こちらも解体が近づく旧大和付近。

上の画像は、築もう何十年になるのかわからないくらいの古いアーケード。支える細い柱と雨樋のラインが天井面に反射しているさまが面白く、「今日の画像」は現代美術館ではなくこちらになった。



旧大和。解体を控え、若手デザイナーらのペイントがなされている。