

今週の旧長岡現代美術館。
とは書いてみたものの、もう建物自体は解体され跡形もすっかりなく、美術館だったと言ってもピンとこない。
昨日の「長岡造形大学彫刻ゼミ展」へは駅から徒歩15分ほどの道のりを歩いて行った。
必然的に旧長岡現代美術館の建物解体工事現場前を通ることとなり、こちらも必然的に、写真に収めている。ちょうど「五十の市」の日にあたっていた。
この日は裏側からも。今年からは旧北越銀行本店とでも書けばいいのだろうか、再開発でも生き残るその建物を背景に。

ポストカードサイズでの案内物印刷の依頼があり、今朝はそちらのデザインから。そう時間かからず終え、このあとは
エックス展チラシの印刷前最終校正。何度か見ているから間違いももうないと思うけれど、最終というのはいつもながら緊張するもの。
画像は先週のもの。旧長岡現代美術館解体工事現場。工事は進むと早いもので、かつてここに何があったか忘れるほどに片付き出している。
(2021.01.24 am11:00)


仕事始め、休み明けウォーミングアップで何か書こうと思って写真探したら、新年のものが未整理で即座に出てこなかったので昨年末のものを。
上は
昨年の“年末まとめ”記事にも記した「今日の旧長岡現代美術館」の、この日の光景。
アオーレに作品展示を見に行った帰路だから28日である。フェンスの隙間から、ほとんど解体されているさまを見たのだった。
下の画像は、
「ふたつの直方体」として3年前も撮っていた角度と同じだが、そこにあった旧大和の建物も解体が進んでなくなっている。
(2021.01.04 am8:00)
旧長岡現代美術館の建物が解体されるさまを写真におさめていたが、
白いパネルで覆われて中でどう進捗しているか見えなくなった(=さしづめホワイトボックス化)ことを最後に、無理にそのために行くことは止めていた。一区切りついたという理由のほか、そのころ
展覧会の準備やロングランの開催で時間的余裕もなくなったこともある。
で、わざわざ行かないとなるとこの場所は何かの用事で通りかかることはないようで、昨日その現場を訪れたのはちょうど3か月ぶり。近くの長岡郵便局に行った際、せっかくだからと思い立ってちょっと足をのばしてみたら、2階レベルくらいまで解体が進んでいるのが遠目に見えた(↓)わけだ。光景もだいぶ変わり、あたりまえのことだけれど解体工事は大きくすすんでいる。

↑
以前載せた「外壁レリーフ部分の“前と後”」と同じ角度で。

郵便局に行ったついでに、旧大和~旧長岡現代美術館の再開発(建物解体)工事現場に立ち寄った。
白いパネルですっかり覆われている。中でどう進捗しているか見えないのはブラックボックスみたいで、さしづめホワイトボックスである。

20日ほど前に
手前の住宅新築工事とを対比させて載せていたが、そちらの現況
(↑)。解体も新築もそれぞれすすみ、いい感じの対比具合をつい撮ってしまうわけだ。

旧長岡現代美術館建物の解体工事現場は、周辺も大きな工事をしていて近くに車も停められなかったりするから、ここのところは撮りに行くにしても工事休みの日曜日となることが多い。
で、すぐ日曜の夜に画像データー整理してアップするなんてことはなかなかやれないから、のんびりと「週初のものを週末に」くらいがいいかとなんだかシリーズみたくなるわけだ。でもそう言いながら先週の「週末アップ」は(
多少の変貌を写真におさめたなんて事前に書いておきながら)やっぱりお休みにしていて、2週ぶり。白いパネルで包まれ出しているのは先の日曜6日の光景。
8月23日の撮影。
先日の「週初のものを週末にアップ する」と同様に土曜日にアップしようと思っていたのだが、1日遅れになった。
1日遅れはすなわち1週間前の写真。1週経つと工事も進捗しているだろうと気になったわけでもないけれど、今日は作品を届けに行ったりいくつか用事があって外出してたので、その帰路に立ち寄ってみた。多少の変貌を写真に収めたが、アップするのはまたまた遅れ、載せるにしても結局次も「週初のものを週末」になりそうか。


いちおう説明を入れておくことにすると、除却工事中の旧長岡現代美術館(旧長岡文化会館ビル)の手前で住宅の新築工事をしていて、スリーブなのかデザインなのか穴の開いた黒い鉄骨柱が立ちあがっていたものだから、「解体」との対比で撮ってみたのが上の一枚。
(2020.08.30 pm22:30)
先日の柏崎野外展搬出の帰路16日夕刻に撮ったもの。週の始まりを日曜日とするなら今週頭の撮影ということで、週初のものを週末にアップ
するかたちになったが別段理由はない。今週はblogもなかなか書けなかったから、要は半分失念していた。
“敬意”を表して、かつその歴史的な“経緯”を鑑みて、旧長岡現代美術館(の建物)と呼ぶようにしていたが、特徴づけていた
斎藤義重作品は前にも書いたように既に痕跡さえ消えている。旧長岡商工会議所とかそのまた前の旧長岡文化会館とか、そんな呼称が頭をよぎる。


同じような角度で撮った写真があったので、
昨日のエントリーの補足で。
ビフォーアフター的に下は“パネルで塞がれた”2日後のもの。
先週末に
旧大和デパートの解体に向けた建物梱包(途上)の風景を載せていた。「まず大和のほう」と記したのは、よく知る読者は容易に想像されたかもしれないけれど旧長岡現代美術館のほうはあとからと思っていて、その6日
(木)撮影分を遅ればせ乍らアップしてみる。
さてと、ということで注釈を加えるなら、ここで組まれていた足場には先週末8日の時点でパネルが貼られ、既に塞がれたから、この画像の光景はもはや無い。ここにきて予想よりも早い動きだったが、つまり「斎藤義重作品のレリーフ痕」も視界から消え去り、現代美術館を直接伝えるものはこれで完全に見えなくなったといえる。このあとはパネルやシートで隠されながら解体されるだけである。一般にはいささかマニアックな見方となるのだろうが、(最後に訪れるだろう)レリーフ痕&建物と鉄管パイプとの光景はラストの見所と思っていたから、たまたま近くで打合せがあったのも何かの縁。この6日に見納めが出来たというわけだ。
見納めになるかもしれないということは、どちらにしろそう長く無いのは当然だから頭の隅には入っていて、この日はゆっくり写真におさめていた。その際、70歳台くらいだろうか高齢の男性がその娘さんらしい女性と歩いていて、3秒ほど立ち止まり「たいこうそうごうの美術館だ」と静かに話したのが聞こえていた。久々に耳にしたこともあるのか今となっては逆に新鮮に響くが、世代によっては今でも大光相互の…となるのだろう。当日のそんなことを思い出した。
2月から
「今日の旧長岡現代美術館」とカテゴリーを設け、日々ウォッチャーしていたわけでも別段ないが時おり写真を載せていた。最終回ということもないけれど、「今日の存在」としてはこれでなくなったかなと捉えている。