ギャラリー湯山では10月7日から、
閉廊の最終企画である「FINAL」展が開催されている。
私は
高崎での企画があった関係でまだ観に行けておらず、今度の日曜(22日)に行く予定としている。
まだ行ってない(し、行ったときの愉しみのためSNSでの情報収集を特にしてない)からどんな展示空間になってるか把握してないが、これまでギャラリー湯山で個展や企画展に参加してきた作家から70名以上の出展とあり、サブタイトルに「12年の歩み」とあるようにこれまでの活動記録なども呈示されてるのだろう。
事前に
届いた出品要請によると、作家の出品内容はギャラリーが4つ設定したテーマのなかでの選択となっている。そのなかには「自由テーマ(自由に表現)」というものもあるから、作家によってはふだん作られている作品を出されるかたもいると思うが、私は「A4の紙一枚(で表現する)」なるものをセレクトした。
そこには「ギャラリー湯山へのメッセージとしてもOK」と但し書きがあった。今年おこなわれた
渋谷の画廊喫茶での「30周年記念絵手紙展」では、純粋な「作品」として出展されたかたもいれば画廊へのメッセージをメインにしたり、画廊をモチーフに作品化されたかたもいて、そうした多様性が愉しかったのだが、今回もそんなイメージなのかもしれない。
ちなみに私の出展は、ギャラリー湯山に自分なりに関係づけての「写真」とした。
和紙にインクジェットプリントで、「View through the slit at Gallery YUYAMA」とタイトルを付けた。上の画像はその一部分、簡潔な言葉を入れている。
<ギャラリー湯山 企画展No.30>
FINAL - ギャラリー湯山・12年の歩みと現在/
11月5日(日)まで土・日曜・祝日の開催
※最終日は14:30~エンディングイベント、エンディングパーティと続きます。静かに佇みながら展覧会に浸りたいというかたはその前に見られるのがよいと思います。
建築にたずさわる知人が建築や都市問題を中心にしたblog(本人が言うには雑記帳)を書いていて、時折見ている。で、最近(7月11日)書かれていたのが「
“NOTHING”を巡る思索若しくは妄想」というタイトル。
掲題からもうピンときたのだが、ここでの“NOTHING”は先日
私の記したギャラリー湯山「NOTHING」展からで、それに関連しての一文となる。美術作家がこのテーマとどう向き合い応答するのか関心が沸くとあり、(氏の専門である)建築や都市について“NOTHING”を考えるとどうなるかと雑記にされたようだ。
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http://tatazumai.c.ooco.jp/zakki/z.html (※当該文は2023.07.11の項)
基本は発想演習で、氏の言う「勝手に思索(妄想)を繰り広げられるのがこのテーマの面白さ」 にそのまま同感。妄想なるものへの面白さもあるよねと共感する。
氏は思索の最後に建築における「廃墟」をあげ、用途を失った建物(失う=“NOTHING”)、それが崩壊し無に至る過程も“NOTHING”への指向か等々と繰り広げ面白く読んだのだが、ここでの「失う」なる一言に閃いた。なるほど美術に例えるなら「失われる」ものを素材に作品化するという方法である。
最初に注釈をうっておけばもう妄想の世界なのだが、思い付いたのは(どこから用意するかは知らないけれど)高さ1メートルとか2メートルの巨大な角砂糖を用意し、それを素材に彫刻作品をこしらえて、豊かな自然環境にある築100年の古民家ギャラリーには隙間から蟻さんの出入りもあるだろうから1か月という展覧会期間中にハタラキアリが全部自分の巣に運んでしまう(会場からなくなってしまう)というNOTHING作品。ハタラキアリはとにかく働くのである。
思い付いたなんて書いたが実は模倣で、元ソースは約15年前のテレビドラマになる。
「33分探偵」という
深夜のユルユルなドラマの第1回に、主人公の探偵が「(ある殺人事件のトリックを)巨大な角砂糖を踏み台に使った犯行だとし、証拠の角砂糖は近所の蟻の活躍で隠滅された完全犯罪」と妄想するシーンがあって、そんなのを思い出したのである。まぁ氷彫刻を置き、溶けて水になり最後は気化してなくなるというプロセスアートもあるけれど、それはちょっと高尚だから妄想するならアリと角砂糖なのである。
数日前に
私ならどうNOTHINGにアプローチするか開幕前に記したかった(が時間切れで書けなかった)としていたが、もちろんこんな妄想与太話を書きたかったわけでなく別物。でもアリではなく、何かしらのかたちで「会期中に失われる(あるいはNOTHINGを指向するように変化していく)」という、時間を作品要素に加えたアプローチ自体は有り(アリ)と思う。
昨日は柏崎での
野外展「夏の庭」の最終日。
昨朝のblogに記したように作品搬出に行っていて、展覧会終了の寸前に撮ったのがこの画像。
日射しが強くて、太陽が眩しくて。角度的にもどうせファインダーはよく見えないからと、
ノーファインダーで撮った一枚。背後にブルーのシャツを着た女性が通るのが目視でわかっていたから、絞りを調整し、被写界深度を浅くしてシャッターをきったところ、思いがけずいいショットになった。
作品素材の“エンジニアリング・プラスチックの棒”はそのほぼ全部がちょっとくすんだ白色で、一般的な“綺麗な”色には遠いもの。そのなかに保護色のような緑色が2本だけあり、その1本に焦点があう。芝の写り込み方の感じもいいと、展覧会の終わりに密かに自画自賛というわけである。
【作品のコメント/2020.08.02】
せっかくなので作品片付け後の風景を。最後はこんなかたちに。
作品の本質にはまぁ関係ないところだが、今回の作品の特徴には手軽に搬入出可能なことがある。ティッシュボックスとさほどかわらない大きさの箱に収納され、設置時の必要工具も巻尺だけだから、軽いし紙袋ひとつで搬入出オッケー。ともすれば電車やタクシーでも可能というコンパクトさはミソとなろうか。
ちなみに書いておけば、“棒”の所用本数を何本にするか?は大きな問題で、搬入出の利便性の追求では決してなくて、作品を成立させる観点から決めることになる。だから5月頃に、作品の最終検討段階で会場の一部を使わせてもらって現地試作と実験をしていた。blogにも書いたような気はしていたものの、いまバックナンバー見てみたら特に記してなかったようだ。
“棒”は200本強用意したが、数を多くし大量に並べるという現代美術の手法にも倣って、最初は400本に増やそうかどうかと思案していた。現地試作時の検討から200本に決めたが、それは数で圧倒させるよりも芝の美しさを活かすにはとか、グループ展という形態の制約のなかで自作に余白や余韻を持たせるにはとか、そうした視点も当然のように内包する。また400の場合は、追加の200本は色を白以外に変え「2本だけの緑色」みたいなことはやめるつもりだった。
搬入出の利便性の追求ではないと書いたが、収納の箱はまだ半分くらい空きはあるから、倍に増えても大きさは変わらなかったと言えるのは余談。


大きさをつかむ尺度として画像に入れたティッシュボックスは、新潟のひとにはなじみの深かった「クスリのコダマ」製。アブブちゃんなるキャラクターがいる。
地場のコダマは全国チェーンのココカラファインにといつしか移行してしまい、長岡にはコダマと看板を掲げる店はいまあるのかどうか。ちょっとわからない。アブブちゃんのティッシュはココカラファインでまだ買えはするけれど。
そんななか柏崎市内で見つけたコダマは、用事は隣のスーパーで飲み物を買うものだったけれど、その希少性につい足が止まる。
Landscape

柏崎での野外展に出展中。
Landscapeと題したインスタレーション作品です。上は会場の案内板に記したコメントで、特にプリントでの配布はされていませんし記録としてwebに転載しておくことにしました。2週間前に
野外展の自作品コメントを書いているとblogに入れましたが、それがこれ。
ここに記したとおり何も作ってはなくて、市販されている硬質なプラスチックの棒を、専門用語ではエンジニアリング・プラスチックというのですが、それをそのまま芝生面に突き刺してただ立てています。作品構想時には会場の特性を見るのですが、管理人のかたから会期中は草刈りをしない、芝もその間けっこう育つ(伸びる)と聞いていて、それを楽しみにしていますので、その意味からしたら元々そこにある「庭の芝生」が作品みたいなものでしょうか。“棒”が埋まるほどはさすがに伸びないでしょうが、そこまで育ったらそれはそれで面白いです。
作品の要素になりますので、展覧会主催者に提出した作品材料名の欄には「エンジニアリング・プラスチック、庭の芝」と書き入れました。
6年前の1月に自身の(作家活動の)ウェブサイトを作るとき、art worksとして
1:平面作品、
2:インスタレーションとともに、
3:野外作品(Open air Exhibition)の項目を設け、それぞれに分けて作品画像を掲載するよう計画した。
そのとき「野外作品」ページに載せたコメントは以下の通りで、
なるほど初めて野外展に出展したのが1995年だから今年でちょうど四半世紀なのねとあらためて気づく。今年参加する野外展で自作品のコメントを提出しなくてはならず、いま書いていたところだったから、野外での県外での発表もあったななんて思いながら「四半世紀」なる言葉も書き入れることにした。
その作品コメントの締切は迫っていて、昨日とかに依頼されたわけではないからさっさとやっておけばいいのだけれど、この種のコメントはいつも締切寸前になる。
art works -Open air Exhibition-
野外彫刻を扱っているわけではないので特に野外アート作家という意識はないが、今回数えてみたら 1995年の「発作魔偶名野外美術展」(糸魚川市)に参加して以降、野外展には 「弥彦・野外アート展」、「Nのための食卓」栃尾守門岳展、 同・寺泊海岸展、長野県・玄照寺での境内アート、大地の芸術祭「雪アート・プロジェクト」と、実に数多い参加があることに気付いた。1998年発行の 『現代美術の断面~日韓90年代後期の現況』(出版:京都国際芸術センタ-)に掲載された作品も、その書籍のためだけに野外インスタレ-ションを敢行しているから、どこか繋がる意識があるのかもしれない。 これまで使った素材は鉄板、ステンレス板、石膏、角材、布、犬の置物etc、要素に組み入れるべく「場」は、雪原だったり池だったりお寺の境内だったり海岸だったり。webサイト開設にともない各々の差異と繋がりを、あらためて振り返りながら掲載すると面白いと思ってはみたものの、いかんせん時間不足で現在(いまだ)工事中。
(2014.01.18)