Witness for the Prosecution [Blu-ray] [Import]
録画していた英BBC制作版「検察側の証人」の後編をようやく観た。
一週間前に「またも検察側の証人」と書いたからそれ以上blogにする気はなかったけれど、前編の陰鬱なムードは後編でさらに拍車がかかり、なんだこれはという感じだったものだから、「さらに検察側の証人」と記すことにした。岡本太郎が「なんだこれは」と言うといい意味の驚きになるけれど、こちらは、うーんちょっとこれはあまりにもというネガティブなほう。アマゾンにこの英BBC版が輸入盤ブルーレイで出ていたので上に貼ってみたが、英国のひとはこうした雰囲気を好むのかしらとちょっと見たところ、英文のレビューにも酷評が目立っていた。
当日のテレビ欄に記されていたキャッチコピー「まさかの結末」 は(映画版での結末を知っていたものにも)たしかに「まさか」だったけれど、よく出来た推理小説のいわゆる知的興奮を覚える「まさか」とは相当異種なもの。結局、結論としては、このドラマは推理モノとか法廷劇とかと考えちゃいけなくて、人間の心の歪みとか闇とかを抉り取るように人物を描く、そうしたドラマだと受け取るべきなのだろう。いくら改定されるにしても本質は良質なミステリーだろうと期待していたものだから、私には大きく期待外れのまさかであった。
1957年の映画版では脇役だったある人物は前編で妙に存在感持たせ、まるで真犯人とミスリードさせるかのように描かれていたからその理由が(オリジナルストーリーとして)後編に出てくるとは予想していたが、まさか冤罪で処刑され、そのシーンまで出てくるとは思わなかった。映画版には登場しないキャラクターの猫ちゃん(被害者の飼い猫)はまさかの溺死をさせられ、後編で明かされる弁護士のこともまさかのドロドロ。後味が悪く、終わり間際に「なんだかこれってぜんぶドロドロだね」とつい呟いたら、主人公のその弁護士がドロの中を歩くラストシーンがちょうど出てきた。うーん。
ビリー・ワイルダーの1957年の映画 は名作なだけに、残念。
アガサ・クリスティの戯曲「検察側の証人」を原作とする
映画「情婦」 が面白いと聞いていたので、BSでの放映を録画していた。放送はもうだいぶ前のことでたしか昨年だったか、BDに入れたはいいがそのまま置きっぱなしだったのをようやく視聴。なるほどこれはよく出来ていて、すこぶる面白い映画だった。映画の原題はWitness for the Prosecutionで、つまり検察側の証人。クリスティの原作と同じである。
1957年アメリカ映画で、脚本・監督はビリー・ワイルダー。大雑把なあらすじを書くと、ある男が殺人の容疑で逮捕されての法廷劇で、犯行時刻には既に自宅に帰っていたという当人のアリバイを証明できるのは妻だけなのだが、その妻はなぜか謎めいていて、本来ならば(無実を訴える側としての)弁護側の証人のはずが逆に(有罪を立証するための)検察側の証人として出廷してきた、という話。だから原題の「検察側の証人」は反転が効いていてそこに意味も内包する。
シンプルかつストレートないい題だけに「情婦」なる邦題は気に入らないところで、内容を勘違いさせそうなだけでなく別な方向へのストレートが過ぎ、なんでこんなタイトルに改変したのかと思うことしきりである。
物語は、男を弁護することになる老弁護士(チャールズ・ロートン)の視点で進む。病院から退院したばかりで、体調を危惧する口喧しい付き添い看護婦(エルザ・ランチェスター)とのやりとりがコミカルで絶妙と思ったら、この二人は実生活でご夫婦なのだとのこと。
さて、ネタバレは書かないようにと思うけれど、例えば
ミステリー本の裏表紙に「クリスティを彷彿させる傑作」だと紹介PRがあるだけ で「はは~ん、●●のあのパターンかね」と見当をつけてしまう人もいるから、なかなか難しい。でも、もう名作に分類される60年以上も前の作品だからと一言だけ書くと、結末のドンデン返しが圧巻である。細かく書かずとにかく圧巻とだけにしておくが、エンドロールには「この結末は口外するな」と流れてくる。それも納得なほど。
昨年全米で大ヒットした映画「ナイブズ・アウト」がとても面白いと聞き、DVDで見てみた。日本語版には「名探偵と刃の館の秘密」とサブタイトルが付けられ、そこからもわかる通りいわゆる探偵・推理モノ。you tubeに出ていた映画の予告編を見ると、予告だからそう作るんだろうけども、なかなか期待させるつくり。
■映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』予告編:
https://www.youtube.com/watch?v=L7IzrgeTWbE
推理モノの場合、大きくタイプで分けるとフーダニット(誰が犯人か?)物と倒叙物との二つがある。フーダニットは大勢の登場人物の中から「あなたが犯人だ!」と探偵が告げてクライマックスを迎えるのに対し、刑事コロンボや、それへのオマージュで制作された古畑任三郎で代表される倒叙物のほうは最初に犯人と犯行トリックが明示されるから、犯人は誰かといった興味はそもそもなく、醍醐味はいかに探偵役が真相に迫るかという点になる。
と一般論を示したところでいちおう記しておくと、ネタバレにならない程度にまぁここまでなら大丈夫ではということで以下書くことにするが、フーダニットか倒叙物かといった構成面の妙にも触れるから、これから観るつもりで一切合切事前情報NGのかたは読みすすめずここで留めていてください。
ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密 [DVD]
で、二つのパターンのうちこの「ナイブズ・アウト」はどちらなのかというと、舞台となる洋館に集まった家族はそれぞれ怪しさ満点で、クローズドサークルの正統派推理小説の如くフーダニットの装いでスタートするからてっきりそうだとばかり見出したら、途中でいきなり倒叙式にと変わり、犯人と犯行のあらまし、トリックが事件当夜の出来事として再現呈示される。序盤での突然の犯人呈示に驚くけれど、また再現映像だからそこには嘘はないだろうけれど、でも見えないところに何かおかしいところあるよねと謎を残しながらの進行で、最後に一捻りありそうだと予感させる。当然一捻りあって結末を迎えるのだが、つまりはフーダニットと倒叙物とがミックスされた新しいパターンとなるだろうか。ついでに書けば、カーチェイスといったサスペンス要素もミックスされる。
テンポがとにかくいいから楽しめる。とかく推理モノは、特にフーダニットの場合は登場人物の設定や背景を人数分示さなくてはならず、しかも(犯罪と無関係のひとも)怪しそうにそれらしく描写するから事件発生前の前段の時間が長くて閉口することがあるが、その点の処理は実にうまいと思う。映画冒頭でもう亡くなっていて「自殺か他殺か」の事件性を問うところから始まり、そう苦労せずに話に入っていける。
これはコロンボとか、三谷幸喜の古畑任三郎が好きな人だとより嵌るだろうななんて思いながら見ていると、登場人物のひとり、重要な役どころである女性看護師は「嘘をつくとゲロを吐く」という体質であると明らかにされる。つまり彼女は嘘がつけず、あるいは嘘を言っても(視聴者にも劇中の探偵にも)バレてしまうという設定である。最初のうちに明示される設定だから(ネタバレというより)物語の前提で、三谷幸喜好きはまた更に嵌りそうだけれど、氏がやりそうなコメディみたいだ。
広告には「100%予測不可能! ネタバレ厳禁!!!」と、ネタバレ厳禁にびっくりマークが3つも付くが、結論から言えば、100%予測不可能ってのはちょっと盛ってるなという印象。
楽しめる一方で、例えばミステリーマニアだとある程度の予測はつきそうな気も、しないではない。まぁでもそれはネガテイブに捉えることでもなく、ここではエンターテイメントとして「楽しめる」ことが肝要なのだろう。
実をいえば物語の途中のシーンで「ん?でもあれは?」となんとはなしに思ったことがあって、あることがちょっと頭の隅にひっかかっていた。ひっかかりといってもテンポのよい展開の前にほぼスルーして見ていたのだが、最後の最後で解決につながる伏線だったとわかった。それは何と書くと完全ネタバレだから書かないけれど、うまくできているもので。
霜鳥健二特別展「美術手帖」
2020年5月14日(木)13時~14時/於:霜鳥ギャラリー
自宅にあった388冊の美術手帖を自身のギャラリー(&アトリエ・作品保管庫)に並べた画像が今朝フェイスブックに流れてきて、これは実に面白いからと当の霜鳥さんの許可をもらい、「特別展」と称されたその画像を以下転載することにした。
当該フェイスブックは昨日14日の夜8時頃の投稿。つまりその“展示”が終わってからのことで、展覧会で通常ある開催告知はなく、時系列からも事後の報告(のみ)である。
ひたすら数を並べるというのは美術の手法のひとつにあると知ってるものの、さすがにこれだけ並ぶと圧巻だ。かつて美術手帖なる雑誌は、ある時代、美術を志すものからバイブルのように読まれていた。それぞれの号での特集見出しやそこを飾る表紙は歴史の流れのヒトコマヒトコマ、断面の集積とも捉えられるし、そこに読み手としての記憶や自身の活動も深く入り込むわけで、時を取り込んで視覚化したインスタレーションとでもいえそうか。
展示には三日間かけて準備をしたという。
“事前に誰にも告知せず、数日間かけて準備して作り上げた「1時間だけ」の展覧会を、作家ひとりで愉しみ、終わってからFB(SNS)で報告”する、そんなやり方にも、なにか根源的な面白さがありそうだ。
(2020.05.15 pm20:00)