夏に柏崎で開催された「東日本大震災&新潟・長野県境地震復興支援チャリティ展」の第2回目、別の言い方をすれば“巡回展”が長岡で開催されている。「チャリティ作品の販売価格は30,000円以内。絵はがきやアート・グッズによるカンパコーナーも設けている」とのこと。

東日本大震災&新潟・長野県境地震復興支援チャリティ
「アート&アーティストの底力」長岡展
会期:10月21日(金)~26日(水)
会場:ギャラリー沙蔵 【長岡市】
チャリティによる復興アート展ということでいえば、私自身、2004年の中越地震では長岡は被災地だったものの(私自身の被害はさほどではなかったことから)県内を巡回したチャリティ展に参加出展し、実行委員にも加わった。中越沖地震のときも「柏崎復興祈念アート展」を、こちらは主催者代表になっておこなった。その流れからいうと、コンテンポラリー系の作家の多い今回のチャリティ展にも参加出展すべきなのだろうけど、今回は辞退させてもらっている。この展覧会に限らず、3.11震災についてはチャリテイ展に原則参加しないと決めている。
理由を一言で記すと、今回の3.11震災については自分としては同列に考えられない、という思いがあるから。なぜそうなのか詳しく書こうとすると、誤読されないよう丁寧に書きたく、けっこう時間もかかりそうだからここでは割愛するが、出展しているとばかり「どんなの出されました?」と聞かれることもまれにあるので、「自分の意志で出展していない」ことは明記しておきたいと思った次第。あんまり難しいことを言ってないで協力すれば…という声もわかるし出来ればそうしたいのだが、自分の根幹に関わりそうな部分を含んでいるとそれを曲げてまでというわけにもいかず、いたしかたないと思っている。
もちろんチャリティ展を批判しているわけではないので、誤読されないよう。自分自身の気持ちがいまチャリティに向き合えない、ということである。
なので、この展覧会に関しては第三者であり、作品展もアート好きのひとりとして第三者的に観に行った。
チャリテイ展を開催しても思ったほど売れずに困った…という新聞記事を前に読んだことがある。どれだけ売れるのか、というのは主催者にすると切実な問題であるが、いまの私の立ち位置だとむしろ興味があるのはどれだけ廻りの市民が熱くなっているか、である。
数年前のチャリテイ展ではどれも初日開幕のときに画廊入口に列をなすなど、作家も市民も、「作品を媒介することで被災地を支援しよう」とかなりの熱気があったような記憶がある。もちろん、今回が熱くない、と言っているわけではまったくない。自分自身はあまり熱くなれずにいるし、自分の皮膚感覚で周囲近いところを見回しても、これまでおこなってきたときとはちょっと様子が違う気がしているので、さて広く世間一般とするとどうなのだろう?と、作品を観に来た(買いに来た)市民の反応に興味をもったわけである。
「
弥彦・野外アート展 2011」は昨日無事に終了しました。最終日のこの日(雨のなか)、撮影した展示風景を何点か。
■まちなかギャラリー展(二村建築会場)
右手前に児玉さんのボックスアート、左奥の壁面に阿部さんの鉄のレリーフ。
■まちなかギャラリー展(酒家やよい会場)

酒樽の蓋を使ったテーブルに各作家がそれぞれ作品を設置。
(この写真だとちょっとわからないかもですが、一番手前のテーブルに置かれた「電話帳」も作品。藤井さん作の、すごく面白い作品です)
笑い話、になればよいが、そうなるかどうか。ただ笑っているだけでも困るのだけど。
(原発事故関連です。こういった話題に嫌悪感をいだくかたは読み飛ばしてください。)
ドイツZDFのHeute Showから、「犯罪会社東電」
ドイツのニュース風刺番組で、今年4月1日に放送されたもの。
半年前の放送なので話題そのものは古いのだが、風刺されていること自体に今になっても何の古さも感じないのが実に困ったところ。まぁ、うまく作ってはあるし笑えるから、一度は見てみたら、と言うしかない。
困りついでにもうひとつ。
気仙沼市の「米ぬか」から370ベクレル/kgのセシウムが検出されたそうな。
http://merx.me/archives/13154飼料の暫定基準値は300ベクレルだから家畜の餌には使えず、つまりブタさんには食べさせることはできないのだが、でも人間の暫定基準値は500ベクレルだから、「ヒトは食べても大丈夫(=基準値以下)」だそうな。というわけでちゃんと流通もするのだろう。
江戸時代には犬が偉かった時代があったらしいが、いまはブタさんのほうが偉いよう。ドイツのZDFが聞いたら「なんじゃ、そりゃぁ~。ホンマかいな。」と言って続編を作りそうだ。
種を明かせば、というより、たいていの人は先刻ご承知だと思うが、結局は「人間用の500ベクレル」という暫定基準値が、国際的にも何に対しても、安全性を軽視した無茶苦茶な数値だということ。だから、その数値以下だったとして高らかに「安全宣言」をする福島県知事は、どうかと思う。
きわめつけにもうひとつ。
内閣府の園田康博政務官が、福島原発の汚染水を「パフォーマンスではなく、必要であれば、この場に取り寄せて飲水します。厭うもりはありません」と記者会見で語ったそうな。
↓
http://media.yucasee.jp/posts/index/9265(ゆかしメディア、10月19日)
これにいたっては、笑い話もここまできたかと暗澹たる気持ちになる。
暗黒夜考氏のブログには『このようなあまりに無知な人物が国民を代表する国会議員であり、更には内閣のそれなりの要職に就いているというのであるから、世も末である。この世紀の人体実験が実現すれば大変な話であるが、同時に、日本国家は「世界中の笑い者」の地位を確固たるものとすることとなろう。』と書いてあるが、まさにその通り。海外から見ると「ホンマでっか」と笑いの種でしかないだろうし、またドイツHeute Showに格好のネタを提供してしまっている。
昨日は
長岡小嶋屋CoCoLo長岡店(村山陽展開催中)にまず行き、様子の確認と店への連絡をしてから、
星奈緒展のFATOへむかった。どちらも駅周辺なので歩いて回ったのだが、そうすると長岡駅前ペデストリアンデッキ工事現場にいやおうなく遭遇するから、必然なのかなんなのか、
まぁ通ったからにはということで工事風景の写真も撮ってみた。
最近あまり駅周辺に行かなかったからわからなかったが、いつのまにか外観が少しお目見えし出している。
「ペデストリアンデッキ」に関して工事風景を何枚も撮っていたり、都市計画上の観点からマイスキップ紙で特集を組んだりしているから、これにさぞ期待をしているのかというと実はそう単純でもなく、長岡駅周辺活性化効果が云々と耳ざわりのよいことを聞かされたりすると逆に、でも、ねぇと思うことしきりで、つまりはクールに眺めたいと思っているわけである。今月号のマイスキップでKさんが記していたのは、1972年の「市政だより」にすでにデッキ計画の記載があり、その頃は「バス発着場は屋根で覆い、その上はペデストリアンデッキにして歩行者が自由に歩いたり休んだりできる、いわば通路と憩いの場になります」と書かれていたこと。70年代の計画は駅前広場全体の上部をデッキ化しようというもので、いまの「市役所への連絡歩廊」的なものより相当大規模なものだったが、私自身、子供のころの記憶にあり、それと無意識に比較してしまうからかもしれぬ。
こういった街中での工事は、地中には配管やケーブルなどが埋まっていたり、店舗等の利害関係もあるから、柱一本建てるにも、杭一本打つにも場所がきわめて限定されるし、歩行者の導線確保なども必要だから自ずと施工難易度の高い大工事となる。でも一般市民はそんな施工上のことなど知らないから、完成したときに「長いあいだ、あれだけの工事をしていて、これだけ?」と、大手通り地下駐車場のときのような反応が出なければよいが…とは思っている。

でも、こうした複雑な工事過程が私的には実に面白く、興味深々である。だから写真を撮っているのかもしれない、と気付いた。施工関係者以外はふつう誰も撮らない、鉄骨柱の柱脚部分も「ひぇ~、こんななってるのか」と言いながら撮っていたりするからね。下の画像、駅前広場の大きな「木」は、すでに所在無い感じになっているが、これは伐採されるんだろうか。