今週スタートした、
フェイツコレクションPart-2「小山まさえ・戸川淳子・中田歩」展から。
どちらかというとモノトーン調だった
part1からすると全体の色調も変わり、「春らしさ(?)を少し感じさせ」るものになっています。
右は、今朝の朝日新聞、イベントガイド欄より。
1週間近く前になるが、2月11日の新潟日報、一面トップの記事を。
都市計画の話題である。新潟駅から柾谷小路を抜けて白山駅までのメインストリートに、BRT(バス高速輸送システム)の導入が検討されているとのこと。
これを読んでいて、かつて新潟市内に“路面電車”があったことを思い出した。路線自体がこの計画とかぶるし、廃線となったのもそんなに大昔というわけでもないから、いまもし現存していればまた違う計画も生まれただろうにと。
そうした“if”に思考をめぐらすのは面白いところだが、My-Skip紙に建築関係の記事を時々書いてもらっているKさんのブログを見てたら「歴史を顧みる上では“if”は御法度」とあった。歴史研究の場合か。でも、Kさんが言う「私は歴史家ではない。どんな“if”を展開しようとも咎められる筋合いは無い」には私もあてはまるから、もうひとつ“if”的なものを。
こちらは長岡のこと。長岡の中心部にかつて無軌道電車の計画があったという話である。
無軌道電車というのは 「レール(軌条)のない電車」の意味で、いわゆる「トロリーバス」のこと。戦後復興事業の一環としての計画で、国の認可(軌道敷設特許)も受けていたそうな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
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長岡駅から郊外(信濃川西)へ向けてモノレールを設置する計画、というのは子供の頃に聞いたことがあるが、このトロリーバス路線計画についてはまったく知らなかった。ウィキペディアで別の調べ物をしていた際に、「長岡…」と冠した記述を偶然見つけ、辿り着いて知ったという次第。
ウィキによれば、1950年に敷設特許をえていながら工事着手にまで至らず、1960年に特許が失効、特許状返納となったらしい。つまり未成線。長岡駅から大手通りを進み千手方面へと向かうルートと、「大手通り一丁目二丁目駅」(大手通り交差点のところか)から枝分かれし、そのまま旧国道17号線を北上し蔵王まで行くルートの2本立てで、いま読むと“if”も刺激してなかなか面白いと思う。
ちなみに設置駅名は下記のよう。
●長岡駅-大手通一丁目二丁目
●【千手方面】
大手通一丁目二丁目-表町一丁目-荒屋敷町-千手横町
●【蔵王方面】
大手通一丁目二丁目-観光院町-関東町-関東町(交番前)-神田町二丁目-神田町三丁目-新町四丁目-西新町-蔵王町
駅名はイコール町名だから、長岡のひとだとそれだけでルートの理解ができそうだ。いまはない「観光院」などの地名もある。
忘れていたわけではないけれど、呑気にかまえすぎていたら
マイスキップ次号原稿の締切が過ぎていた。まぁ、過ぎていた…と言っても、締め切りには多少の余裕が見込まれているのが常なのであるが、でもそれを考慮しない“実際の締切”からしてもちょっとギリギリか。ということで、今日は朝イチから原稿のまとめ作業を。最近は書くのもチェックするのも早いから、まぁ、あっという間ではある。
ちなみに次号3月号では、先におこなわれた
長岡造形大・卒展のミニレポートもあります。紙面連載「造形する風」コーナーの写真撮影を1年間担当してもらっていた造形大4年Tさんに、最後のご奉公(?)ということで撮影をお願いしました。
卒展時に撮影しておきながらアップしてなかった入口「看板」の写真を右に。