
今月初めのことだが、「
東京都現代美術館が閉館するという雑誌記事」について書いた際、それを読まれた建築系の知人Kさんが自身のブログでも話題にしていた。そのことを書こうと思っていて、すっかり書けないでいた。
「東京都現代美術館が閉館する」に大して驚きはしなかった、ということから都内の巨大公共建築物の話に繋げていて、なるほどと興味深く読んだからであるが、そのなかに建築家・磯崎新の「五大粗大ゴミ」発言なるものへの言及があった。
「五大粗大ゴミ」とは、建築雑誌で話題になったもので、東京都現代美術館のほか、東京都庁舎,東京国際フォーラム,江戸東京博物館,東京芸術劇場の5つを称して氏が挙げた、というもの。いずれも巷間は超一流といわれている建築家が設計した都内巨大公共施設である。
とはいっても建築物の成り立ちにはいろんな背景がある。例えばコンペ型式であれば設計要件なり条件があらかじめ決められその範囲内で提案(競争)しなくてはならないから、単純にすべて設計者の責というわけでもないし、あるいは、磯崎氏の新都庁案が「指定された設計要件を意図的に無視した」ものだった(建築雑誌で当時すべての設計案を見て個人的には一番よかったという記憶あり。※でも条件無視したら採用されないよね)ことを思い出したりもする。
粗大ゴミ発言についてはあいにく知らなかったので、ちょっとweb上を調べていたら、都現代美術館が出来た頃に磯崎氏は、「東京都現代美術館と有楽町の東京国際フォーラムは場所を反対にすべきだったと言っていた(らしい)」という記述を見つけた。本当にそう言ったのかどうかはわからないが、今からすれば「たしかにそう」であるから、そういう発言もあったんだろうなとは思わせる。
大地の芸術祭など見てもわかるように現代アートはいまや「人を呼べるコンテンツ」となっている。だから有楽町の駅前にもし現代美術館があれば、有楽町~銀座地区と一大アートエリアの形成となるし、さらに六本木・森美術館みたいに夜遅くまで開館しても面白い(夜でも大勢の来館者で賑わう)し、そうであれば街も使ったアートイベントへの展開もいろいろ考えられるから、その集客からしても凄いものになっただろうと容易に想像がつく。しかし一方で、都現代美術館が建設された当時は、現代アートを巡る状況は「いま」とは隔世の感があったのも事実。そんな中での発言だから、「先見の明」とはまさにこういうことだと、思ってしまった次第。粗大ゴミ発言にもそうした「先見の明」ぶりが、背後にはあったんだろうね。
で、件の五大粗大ゴミのうち、東京国際フォーラムについてはつい先日行っていたばかりだった。駐車場が広くて特に平日は使いやすいから、今月1日の上京時、長岡小嶋屋銀座店店内展示作品入替作業時には駐車場として利用していた。
その際に、ついでに同建物の写真も撮っていたはずだったのだが、記憶というものはあてにならないもので、今みたらマトモなのはせいぜい上の「トイレ入口」の写真くらいしかなかった。「階段の脇にトイレ」というのはよくあるパターンだが、それにしてもなんだか妙に壮大なところに取り付いている感じがする。
さて右はその
長岡小嶋屋「銀座ニューメルサ店」から。笹川春艸さんの墨画7点を現在展示中ですが、蕎麦越しに。
■過去記事
笹川春艸展・展示作品リスト
作品集の販売
また、一番上の写真は作品搬入時(4月1日)に撮った銀座の「さくら」。長岡だと、悠久山はおそらくこの週末の“いま”が一番の見頃だろうから、いま桜の写真をみてもそう違和感もなさそうだけど、都内のかただとまた違うかも。
■長岡小嶋屋銀座店関連記事
新メニュー(ランチメニュー)紹介
今日BSで放送される刑事コロンボのタイトルは「
だまされたコロンボ」だそうな。
数年前に一度観ているから、内容は知っている。「新」刑事コロンボになって推理や脚本が粗くなり、旧シリーズに比して面白くなくなったとよく聞くが、そのなかでこの「だまされたコロンボ」は悪くなく、むしろ面白いと思えて好きな作品である。
ただ一方で、原題の「Columbo Cries Wolf」を「だまされたコロンボ」と意訳するのは、とても気にかかっていた。
タイトルからしてすでにネタバレだから。
だからちょっとだけ更にネタバレ的に書くと、その通り、犯人の仕組んだ狡猾な罠にコロンボが「だまされる」という珍しい回で、番組のほとんどはその「だまされた」推理に費やされる。推理の展開そのものはそれはそれで面白いのだが、でも要は「騙され」続けて延々と話がすすむ。しかしそれが最後の5分で、そこで一気に、鮮やかに反転する。そんな流れになっている。
その鮮やかさは見事なのだが、それを生かすには「だまされている」=間違えていることは視聴者にも内緒にしておいたほうがよいし、観る側としても臨場感が出て楽しめるのに、最初から「だまされた」とあるから、あ~、これってきっと騙されてるんだよねと頭の隅で思いながら見てしまう。ラスト5分のドンデン返しはそこに至る伏線もちゃんと細かく張られていて、キーとなる小道具も効いているから、余計に勿体ないと思うことしきりである。
まぁ「だまされた」というタイトルにしておけば、「なになに?騙されるの?」と興味ひく人も多く出そうだから、視聴率自体はあがるのだろうけれど。
春になって廻りで一気に展覧会が増えたよう。
今朝の新潟日報でも新潟市内で開催中の「現代美術2人展(VSシリーズ)」が紹介されていたが、知人友人作家の展覧会も今月ひじょうに多い。4月になぜこれほど多いのか、珍しいほどの集中ぶりで、しかも会場は県内各地に渡っているから、やや多忙気味な最近、なかなか行けないでいる。
最近のことでいえば、新しい仕事で長岡市内某店舗の店内アート展示プランをすすめている。詳しくは、もう少し固まってから書きたいと思うが、店長自身がアート好きということもあって、いいコラボレーションが出来そうな気配。展示数からすればひじょうにささやかなものだけど、けっこう楽しみなのである。
ブログでは「長岡」のことも気づいてみれば頻繁に書いているので、読者のなかには長岡出身(だけど、いまは県外在住)というかたも多いみたい。先日も「故郷の匂いがするから、楽しみに読んでます」と言われ、いい気分に浸ったのだけど、気分よいまま次の写真をアップしようと思った途端、ここのところあんまり撮ってないことに気付いた。だから上はとりあえず出てきた画像で、大手通り交差点の「安栄館ビル」。
今朝の新潟日報から。
長岡市妙法寺が所蔵する絵画「法華経絵曼荼羅」と鎌倉時代の製作と見られる安禅寺所蔵の彫刻「不動明王立像」が、長岡市の指定文化財になったとのこと。市文化財の新たな指定は5年ぶり。ちなみに両寺ともふだんの公開はなされないもよう。
facebookに流れてきた、
福島県在住のかたの投稿写真である。
『
ここ数日の福島民報の見出しと今日の読売新聞の見出し。
福島で起きていること。世界で起きていること。ギャップが悔しい。』とメッセージがある。こういった情報はなかなか伝えられないから、転載させていただいた次第。
また、ここに掲載されている昨日の読売新聞朝刊一面「トルコに原発輸出」は、ちょうどその前の晩に、ユーチューブで聴いていた講演内容と偶然にも被ってもいた。
「原発メーカーの実態と責任」と題された田中三彦氏の講演記録を聴いていて、講演自体は昨年11月のもの。なにかにつけ東電の悪口は聞くのにメーカーの責任を問う声は意外なほど耳にしない、そんな折だったから、奇しくも見つけたこの切り口に興味をひき、時間もそうあるわけでもなかったが観てしまったのである。メーカーの責任という観点から、原発メーカーが第三国に輸出する件についても重点を置いて述べられていた。
田中氏は1970年前後から約10年弱くらい、原発の根幹となる「圧力容器」の設計にたずさわり、実際に福島第一、4号機のそれは田中氏が設計を担っている。実際に設計をおこなった技術者らしく理路整然とわかりやすく話すのだが、単に技術的なことだけでなく、例えば「会社人と社会人の違い」「技術者の倫理、会社の倫理、社会の倫理はどう違うか」等、その背景にある社会学や心理学などにも関連させて論じたり、(氏もかつてそうだった)会社人の行動原則について、「大義名分と権威さえそろえば人はなんでもやる」というアイヒマン実験(
服従の心理/スタンレー ミルグラム著 、河出文庫
)に触れたりと、内容が深くて実に示唆に富む。こういう話は多くのひとに聞いてもらうと、いろいろ考える材料によいのにと思ったが、ユーチューブのカウントはいまだ2400くらい。う~ん。
原発は運転するのも事故処理するのも最後は人間だから、「人間の問題」として、かつて事件を起こした片桐機長や姉歯建築士のことも、事件の本質は何だったかと触れられる。後者はともかく前者は30年以上前のこと。いきなり“片桐機長”と出てきて、とにかく
センセーショナルな事故だったから50代以上だとすぐさま記憶が蘇りそうだけど、いまの若い世代だとどうなのだろう。知らないよね。
昨今絶滅危惧種に指定された版下原稿を完成された本とともに展示するとのこと。
東京(渋谷)の画廊喫茶での展示であるが、「版下原稿」ってけっこう好きだし(&珍しいし)、なにやら興味をひいたので下に。
間村俊一 版下ガラパゴス
会期:5月1日(水)~31日(金)/日曜・月曜・祝日・第3土曜日は定休
会場:ウィリアムモリス
珈琲&ギャラリー【東京・渋谷】
福島江の桜が満開だと、昨日書いたふたつの記事の双方に奇しくも同じ話を出していた。福島江については、
提灯の準備をしているところは写真におさめたものの、桜そのものはなかなか難しい感じがして、まだ撮っていなかった。
で、通りかがりにふと思い立ち、他のひとがあまり撮りそうもない角度で、しかも離れて撮ってみたのが↑。
左手は郊外に移転した中央病院の跡地でいまだ空き地のまま。長岡駅からもほど近く、すぐ近くには大きな専門学校もあって人通りもそれなりにはあるところだけど、こう写真にしてしまうと、ちょっと違うイメージにはなる。