で、なんでこんな昔の話を書きだしたかというと、 要は絵の運搬業であって、だから要望されればどこでも運んでいたということを言いたかったのだった。つまり、最近なにかと話題になり、昨日も朝日新聞一面トップ(↓)で報じられた「事前指導の会」なんてのにも運んだことがある。私が行ったのは日展ではなく、別の、やはり名の知れた公募団体だったけど。

そこでは「下見会」と呼ばれていたが、内容は同じ「事前指導」である。運ぶついでに会のようすも第三者的立場で見て「ひぇ~」なんて思ったし、さらにいえば、お偉方は少し見ただけでどう「指導」してそれが本番でどう直されてくるのか、そんなのもつぶさに見ていた。かなり大胆に、まったく違う絵になるほど変えさせられるケースも多々あったから、傍観者にはけっこう可笑しい。経緯も知ると、結局誰が描いた絵なのかとみてしまうしね。
そんなのを傍目に、「描く」行為というのはいったいなんだろう?なぞと哲学的に思考した、ということもないのだが、「キャンヴァスを裏返して表には描かない」ことを始めたのもこのころだから、どこか無意識の深層心理的なところでは、いろいろ思考していたのかもしれない。と、昨日は朝日新聞みながら、そんなことを考えていた。