昨日は柏崎市内に打ち合わせに。
駅近くの游文舎ギャラリーで開館7周年記念のコイズミアヤ展をやっていたからそちらもあわせて。さらに、ブルボンの本社ビルが竣工されたばかりの柏崎駅前にも立ち寄ってみた。同ビルは駅から見ると、やたら細長いビジネスホテルの後ろにやや隠れながらある。下は駅前ロータリー。
游文舎開館7周年記念企画
コイズミアヤ展「充満と空虚」
会期:4月18日(土)~26日(日)
会場:游文舎
移動の車のなかでのBGM、この日はPSY・SのPIC-NIC。久しぶりに聴いてみた。1986年の発売だから約30年経たアルバムとなるが、そう古く感じない。古くて新しいということかもしれぬ。
PSY・Sはよく聞いていたが、そのなかでサエキけんぞうが多くの詩を手掛けたこの初期アルバム(セカンドアルバム)はお気に入りのひとつであった。

長岡駅前、東口。
駅前交差点の角はたしか美容室だったか。先日通りかかったら解体工事中であった。背景にホテルニューオータニ。
先月は
三上喜貴展での小冊子(作家コメント集「木版画にまつわる思い出」)の編集に携わっていましたが、今月はまた違う冊子の編集に携わっています。とはいってもこちらは展覧会関係ではなく。
編集仕事は好きなこともあって、冊子化でいえば自分自身の作品についてもまとめたいと構想はたてている。でも今は制作自体のほうを先にすすめなくてはならず、だからそちらはもう少しあとになりそうか。
自分の趣向にはまず合わないだろうという妙な確信はあったものの、先日からスタートしたテレビドラマ「アイムホーム」を時間遅れで見てみた。
確信していながらとりあえず録画はしていたのは、もう20年近く前になる原作の漫画をリアルタイムで読んでいて、その独特の世界に魅きこまれていたから。作者の石坂啓さんは今や週刊金曜日の編集委員を務めるなど社会派の作家として知られるが、この漫画が連載された頃はイメージとしてややおちゃらけたものがあり、作風のいきなりの変化に当時驚いた記憶がある。
ついでだからと、上下とも持っている単行本を書棚から久々に取り出してみた。1999年の初版本。今回のテレビドラマにあわせて再刊されたものは表紙デザインが大きく変わっているらしい。
で、肝心のテレビドラマのほう。
やはり私の感覚には外れ。キムタクとか上戸彩とかビッグネームが出てくるものにはありがちなところで、予想通りであった。テンポがゆっくりしているのに原作にあったどこか深く考えさせる余韻みたいなものはなくなり、ことさらミステリーという言葉が強調されて出てくるのもテレビ的といえばそうなのだが、原作からすると安っぽい感じがしなくない。
以前、松本清張をひきあいに
「改訂版の魅力」について書いたことがある。漫画をテレビドラマ化する際も当然それに合わせた改訂が必要だから、要は改訂の仕方が好みとは遠かったわけだ。しかし逆にキムタクファンにすれば新しい役柄で新境地もみせているし、ナレーションも含めて前面に押し出しての登場でこれでいいのかもしれない。
改訂という観点でいえば、主人公が記憶を失う理由が、原作では「七輪でモチを焼いているときの一酸化炭素中毒(による後遺症)」だったがドラマでは工場での爆発事故になっていた。七輪のモチ焼きには物語としての意味があったから、そこを変えたということは爆発事故は単に偶発的なものでなく、おそらく違う意味がこれから付加されてくるのだろう。作り手視線だと改訂へのそういった興味はなくないものの、でも一話みればもう十分という気がしている。以降は見ないだろうと思う。
珍しく文庫本を買った。
先日訪ねた新潟絵屋の石井一男展で売られていたもので、「奇蹟の画家」とはその石井一男氏を指す。同展はものすごく反響があったようで本もよく売れたのだろう、私の買い求めたのは画廊に残っていた「最後の一冊」だった。
パラパラと少し立ち読みしてみたところ、読みやすい文章というのはまずなによりなのだが、画家自身だけでなく氏を発掘したかたちのギャラリー島田の島田誠氏についても触れられていて、そちらに興味を持ったことが大きい。
ということで読み始めてみたものの、まとまった時間がとれず一週間たってもいまだ読了せず。上の画像は長岡市内の桜。今年は3月末からの横浜出張が当地の桜シーズンと重なり、さらにSNSなどでの桜画像の充満ぶりですでに満腹感があり、ストレートに桜を載せるのは躊躇したくなる。だから
「今年」閉校となった校舎脇の「昨年」の桜だったり、青空と桜の真ん中に青い標識をわざわざ入れてみたり。
奇蹟の画家 (講談社文庫)