昨日マイスキップの編集部に足を運んだら、殿町の街並みにいま存在するある「もの」について、「あれって不思議なんだよね」と面白い情報を聞かされた。知らなかったので、それで今朝はさっそく、
ギャラリーに出勤する前にまず殿町界隈の散策。マニアックと言えるから一般には気づき辛いかもしれないが、あまりに面白すぎて、blogに画像を載せるのは躊躇してしまう。一番下の画像は昨日の帰り道の長岡駅東口。

先月下旬に発刊されたアサヒカメラ2月号を買い求めた。

ふだん、めったにカメラ雑誌は買わない。だからお目当ての記事があるのだが、総力特集の「鉄道写真の深淵」ではなく、
緊急企画の「損害賠償&削除要請マニュアル」である。「ネットから盗作写真を駆逐せよ!写真を無断使用する“泥棒”を追い込むための」と、表紙には企画趣旨が小見出しで。ネットで写真を盗用された場合の対処法の解説である。
言うまでもないが、著作権があるので、本blogも無断転載や盗用は厳禁である。
長岡小嶋屋のお知らせ。
いつもの「CoCoLo長岡店」ではなく、CoCoLoはCoCoLoでもCoCoLo
新潟店のほう。移転OPEN2周年祭を開催するとのこと。
2月1日~2月7日まで「おそばの大盛り分無料」、ご飲食代2,000円で次回使える「へぎそば1人前サービス券」の進呈があるよう。上の画像はCoCoLo新潟店で、
壁面に掛かっているのは拙アトリエで納めた信田俊郎さんの作品。
無意識の意識の中に於いて極めて単純な手法を用い、例えばある物質がここに在るということから、私の表現(エネルギー)の本質を見つけるすべはないかと最近考えている。
とは、私が約30年前に参加したグループ展で記したコメント。作品の写真とコメントとをまとめ、展カタログとして手製本した冊子が残っていて、見直してみたらこんなことを書いていたんだと気付いた。記したコメントは本人の記憶からすっかり抜け落ちていたが、驚くのは今考えることとあまり変わりがないこと。進歩がないのかあるいは一貫しているのか、捉え方によって評価は分かれるが、作品の内容や形態自体は当時と今とで相当変わっているのにという点、面白さを感じてもいる。またこの内容からすれば想起するのは「もの派」のような作品だが、実際の出展は油彩とアクリルの絵画で、他になぜか「ペン画」が1枚。カタログと作品リストが残っているだけで、作品そのものはすべてすでに現存しない。
● ノプラマ・アート「ラフィン・ザ・ヌード」展。1988年11月、原宿駅前の地下のホールで開催した8人のグループ展で、主宰は五十嵐祥一氏。
ギャラリーみつけ、明日28日(土)からスタートする展覧会。見附市在住2人の書家のコラボレーション展です。
さきほど展示作業を完了しました。見応えある、面白い展覧会になっています。
青木春靜×若林溪竹
言の葉 書展
-萬葉へのいざない-
会期:1月28日(土)~2月12日(日)/2月6日(月)は休館
/2月5日は午後2時~3時にギャラリートーク有
会場:
ギャラリーみつけ 展示室1&2
萬葉集の春の句をテーマにして、
同じ句を
青木春靜は「かな」で、若林溪竹は「漢字」による表現で
それぞれ書作品にしています。

田島鉄也展-われわれがなんであれ、いずれにせよ、とにかくそれとは別のものなのだ。
会期:1月23日~1月28日/
会場:
ギャラリー現 【東京・銀座】
地下光学の出展作家である田島さんの個展。チープな材料を、つたなそうに最初見える技法を使って構成した3つの“もの”が3枚の壁に1つずつ配置され、もう1枚の壁面にはコンセプト文。田島さん本人は「自分で面白いと思う。面白いと思うのが自分だけでないといいが」と搬入直後に書いていたが、本人だけでなかったようで私にも「とても」面白い個展だった。「安定の不安定」とか「不安定の安定」とかいうことを考えていた。
氏の作品は「
制作への手法、成立のさせ方など(私と)おそらく正反対」といったことを前に書いていたが、この日同行した作家から「“描かないこと、作らないこと”(から作品を展開させる)」は共通すると指摘を受けた。以下は田島さんがFBに載せていたコメント。
『
「作品」そのものは、目新しい手法をつかっているわけではない。
技法的にうまくもない。むしろ上手さを避けている。
バランスの良さもほぼ無視している。
機能的な美しさとは程遠い。かといって汚いわけでもない。
装置でもあり言語でもある。』