六本木のジャコメッティ展が9月4日迄で、その写真を先般撮っているからと、My-Skip紙の次号9月号のコラムではこれについて記そうとその7月の段階では、思っていた。でも次号は200号記念号で、紙面全体「200号を振り返る」的ムードにあふれているなかそれに迎合するわけではないけれど、考えを改め、わたしも「振り返る」要素のあるテーマに直して書いた。「マイスキップ版アート日和」のコーナーである。
昨年12月には「私自身の(近年の)担当は“長岡造形大生・紙上ギャラリー”だけ」とblogでも記していたが、100号→200号間を私の仕事して振り返るとなれば、やはりこのコーナーになり、この機に触れておきたいとなったわけだ。 ついでのようであるが、長岡造形大絡みということでちょうどよく、今月撮った「同大校舎の梱包(修繕工事)風景」も載せるようにした。この9月号は編集も(編集Yさんお盆休み返上で)ようやく今朝終わったようで、今日印刷に廻ることになっている。月末には発行される見込みだ。
さてこの9月号では、数日前にも書いていたけれど、海津千並さんの最終面片隅の写真連載が最終回となる。7年に渡って続けてもらっていたからと、最終回の挨拶としてふだんには無い特設コーナーを追加で1枠作ってもらった。他、編集長の「200号達成の御礼の挨拶」やら何やらと盛りだくさんで、紙面スペースが足りなくなるのではと思っていたら、うまくおさまるもので、逆に最後の最後でp.6に変形L形の小さな空きが出来た。その空きは編集Yさんが、先月号で最終回と銘打ったばかりのコラム「テレビ朦朧紀」をリターンズと称して復活させ、氏のイラストとともに世界陸上のテレビ観戦記を埋め草のように、あっという間に書かれて埋めていた。
9月号は200号記念であると同時に、創刊から17年弱に渡って編集してきたそのYさんの退任記念号である。発刊後に見てもらえば一目瞭然だが、これまでの記事のデーターベースや関わったひとたちについて(Yさんが)数ページにわたってまとめていて、目を見張る。だから、読者から「さすがYさん、編集人としての“最後の”記事、すごいですね」とかいう感想も相当出てきそうだけれども、厳密に順番として言うのならば、氏の“最後の”記事は上記の埋め草原稿のほうになる。編集人最後の記事が空きスペースのイラスト付陸上観戦記というのも、「らしい」といえば「らしい」ところ。