
長岡小嶋屋CoCoLo長岡店での店内展示“蕎麦×アート”の、今年後半3展の案内ハガキが刷り上がっています。「感染症対策で営業時間等変更になる場合がございます。最新情報は
長岡小嶋屋のホームページをご確認ください」と、これまで入れることのなかった案内文を表と裏の両面に記載しています。
営業時間ということでは、CoCoLo長岡店は
現在17時までの短縮営業となっていますが、6月1日より「11:00
~20:00(L.o 19:30)」に変更(延長)するとのこと。


(2020.05.25)
店内展示は
6月14日までが三上喜貴さん。以降は高橋ノリユキさん(写真)、鶴水亜里沙さん(切り絵)、品田朋香さん(絵画)と続く予定となっています。
●定休日について/設備メンテナンスのためCoCoLo全館休館になる日が年に2回、2月と9月にあり1日程度の定休日が設定されます。定休日は(年末年始等を含め)基本的にCoCoLo長岡に準じます。
午前中に書いていた堀内正和「坐忘録」について何気なくいま検索かけたら、都内のギャラリストのかたが書いたと思われるblog記事がひっかかった。
https://gemart.exblog.jp/604880/
作家夫人が語った、「表が裏になり、裏が表になり、生が死になり、死が生になる。堀内が創りだしたおかしな形も、荘子の思想からきている」という言葉は興味をひくもので、同時に、この“坐忘録”の復刊希望者を募っていて300人集まれば美術出版社から復刊されるというのにもそそられたが、日付をよく見たら2006年2月2日の投稿。15年も前の話だった。
(2020.05.24 pm23:30)
先日記した「美術手帖を並べる」という霜鳥健二さんのインスタレーションは、例えばこれが美術手帖ではなく別の雑誌を並べたのでは単なるコレクションの披露であって、アートではなくて「よく集めましたね」で終わってしまうから、なぜこれが面白いかと考えていくと美術手帖という媒体の特殊性や時代性といったキーワードに行き当たる。
私自身のことでいえば、たぶん世代的なこともあるのか手帖への意識は少し違い出していた気もするが、まぁいまの大学生あたりだと想像もつかないかもしれぬと「美術を志すものからバイブルのように読まれていた」時代があったと書いたわけだ。その昔、大学教員をしていた彫刻家・堀内正和は「(教えている学生たちは)教師の言うことは聞かぬが美術手帖の言うことならよく聞く」とたしかエッセイにしたためてたはず。そんなことまで頭をよぎり、手元の著書を書棚の奥から取り出してみる。約50年も前、1972年1月に当の美術手帖に「坐忘録」と題して掲載された短文に記されていた。
その「坐忘録」がそのまま書名になった400ページを超える大著(エッセイ&彫刻論集)を買い求めたのは、
その72年ではなくもっとずっと後のことだが氏が再び(みたびかもしれないが)美術手帖にエッセイ連載していた年があり、私が学生の頃でリアルタイムで読んでいたから。「なんて面白い文章なのか」とそのころ毎月(本来気にすべき特集よりも)楽しみにしていて、本になると聞いて買ったのだった。
氏の彫刻も好きなのだが文章も好きで、古い記憶は定かでないから「おそらく」だけれど、彫刻よりも先に文章のほうに魅かれたのだと思われる。オチの付け方に特徴がある。
名著なのに絶版入手困難の本は、まだ付いている帯はボロボロだけれど形をかろうじて留めていて、そんなさまを撮って画像を貼ってみた。愉しみながらやったけれど、でもどうみてもこれは単なる「コレクションの披露」であって霜鳥さんのようにアートに昇華されたものではないよねと、そんな当たり前のことに気づくのであった。
坐忘録 オフザケッセ&クソマジメレクチャクチャ/堀内正和著・美術出版社
所用があって
笹川眼科に行く途中、ペットショップの前の信号にちょうど引っかかったからとつい、車窓から写真に撮る。
看板の動物の絵。独特のタッチは妙に擬人化されてるよねといつものように思っていたら、真ん中になぜか「ふつうの」イラストで描かれている犬が居ると見つけた。どうせだったらここも擬人化タッチにすればいいのにね。と、通りがかりの外野的意見。
● 笹川眼科内にはいま高木秀俊さんの新作絵画シリーズ3点を飾っています
https://atelierzen.blog.fc2.com/blog-entry-5454.html