
昔からのお客さまから額やキャンヴァスに関する相談を受け、本日は小千谷市まで出張。おぢやといえば錦鯉で、駅前の自動販売機には錦鯉が描かれていた。
(2021.04.07 pm18:30)
エックス展会期中に時間的な余裕はとにかく無く、そのころ録画していた名探偵ポワロ「アクロイド殺人事件」をようやく観ることになった。BSで放映している、イギリスBBCのテレビドラマ版である。
で、結論として思ったのは、クリスティの原作「The Murder of Roger Ackroyd」(アクロイド殺し)を未読のひとはこのBBC版を絶対に見てはいけない、ということ。なぜかと言えば、ネタバレになるから少しはボカして書くと、なぜこの小説が名作とされアガサ・クリスティの代表作のひとつに数えられるのかは、発表当時にフェアかアンフェアかの一大論争を生んだ記述方法、「●●●が▲▲だった」という(当時の)革新性にこそあるが、BBCドラマ版ははなからその設定を捨てているから。そうなると、他に出てくる録音機のアリバイトリックなんかは現代からするともうチープすぎるし、犯人も(映像ではもう最初からピンときそうな人物で)意外性が小説とは一転まったくなくなるから、推理小説古典の名作なる肩書もどこかに消えてなくなるわけだ。別に肩書はなくてもいいのだけれど、原作未読のひとは「なぜこの話が代表作なのか」きちんと理解できず、訝しがって終わる寸法だ。
まぁアクロイド殺しはあまりに有名で、未読なのにどういう犯人なのかを知っているケースはよくあるから、またBBCもその前提での制作だろうと思われるから、いちいち今更言うこともないのかもしれないけれど。
ただ訝しがって終わった未読のひとがあとから原作小説を読もうとすると、「●●●が▲▲」という肝が小説冒頭にわかってしまい、驚きも何にもなくなる。1分で終わってしまう。そうしたひとはいるかしら。
ちなみに「未読なのに犯人を知っている」のは私もそのひとりではある。いつだったか
連載エッセイのネタにもした。さらに書けば、本事件のポワロの推理を研究した大学教授の本まで読んでいるのに原作小説のほうは(昨年の今ごろ田村隆一翻訳版を入手したものの)最終章周辺の一部だけでまだ全部は読んでない。
昨年のblogで
「犯人を知り」→「その推理への疑義の研究本を読み」→そこから原作読むのは順序がまったくもって逆、しかし裏側を知って読むというのも一興、と書いていたが、今回さらにテレビドラマ版もそこに加わったということになる。
そうした愉しみ方もいいと思うけれど、BBC版のエンディングについて書いておくと、犯人が自死するという設定をなんであんな大袈裟に立ち回るものにして、原作にある余韻みたいなものを消し去ったのか。
前に書いた検察側の証人もそうだったけれど、BBCの改訂版はどうも好みが合わなかったようで。