
・ゴッホは殺されたのか -伝説の情報操作- (朝日新書/朝日新聞社) 小林利延著
・殺されたゴッホ (小学館文庫) マリアンヌ・ジェグレ著
いずれも最近読んだものではなく小学館文庫「殺されたゴッホ」のほうはたしか昨年で、そのときの読書メモがPC内に残っていたから本日のblogはそちらから。ちなみに朝日新書のほうは相当前に読んだもので、すっかり忘れていた9年前の記事を見つけたので2012年のこととわかった。PC内のメモは毎月執筆していた情報紙の連載コラムのネタ切れ時用に残していたものである。
自殺が定説だから“他殺説の定説”という言い方もヘンだけれど、2011年に美術史家スティーヴン・ネイフと作家グレゴリー・ホワイト=スミスの2人が唱えた説が他殺説のなかの定説にとなるのだろうか。同説はウィキペディアの「ゴッホ/死」の項にも簡単に触れられているのでどういうものかは興味あらばそちらを参照。
その説は2人の著した「ゴッホ伝」のなかで示されたもので、その大著は「ファン・ゴッホの生涯」として邦訳もされている(松田和也訳、国書刊行会、2016年)。 フランスでも2013年に仏語版が発表されて話題となり、それに触発されて書かれたのがマリアンヌ・ジェグレ「殺されたゴッホ」となる。 その訳者あとがきには「(ゴッホ伝に衝撃を受けて)マリアンヌ・ジェグレ自らも調査を重ねたうえでゴッホの最後の2年間を小説としてまとめあげた」とあり、小説であることの強調がなされつつ、ゴッホは自殺ではないと(ネイフ&ホワイト=スミス説にたち)描かれる。 ここでは小説であっても決して「推理」小説ではないことは肝要で、ゴッホの最後の2年の物語としての読み応えがある。
一方、小林利延の「ゴッホは殺されたのか」。こちらで呈示される他殺説は、他殺は他殺でもその内容は別物で大きく異なるもの。他殺というなら犯人は誰かも謳わなくてはならないが、犯人も異なった人物をあげている。
著者は芸術理論の大学教授。ゴッホの場合は書簡集、いわゆるゴッホの手紙が遺っており、ゴッホ研究のバイブルで唯一かつ純正な史料となるが、著者は新たな視点でそれを読み直して、さらに“書簡集”に見られる非収録や削除等の、“そこになぜか無いこと”からも推理を展開していく。
証言や手紙をひとつずつ検証するかたちですすめられていくから、マリアンヌ・ジェグレとは違って形態は小説ではない。しかし大胆な推理、犯人の意外性、意外な中に潜む犯行の合理的(に思わせる)理由といった一連のスリリングさは、推理小説よりも推理小説らしくある。小説では決してないが、一面、よく出来た“推理小説”として捉えても面白く、 実際個人的には“最後近くのあの一行で世界が反転する”とどんでん返しミステリーの代表傑作のように言われる綾辻行人「十角館の殺人」よりも、結末に驚いた。ネタバレになるからと、誰が犯人とされたとかはここでは書かないけれど。
因みに追記しておけば、「美術史は推理小説だ」と謳われるエピローグの日付は2007年12月になっていて、本書は2008年2月28日第一刷発行。2011年の上記ゴッホ伝よりも早い。