前山忠 新作展 新視界シリーズ
会期:3月17日(金)~28日(火)/22日(水)は休廊
※3月18日(土)は13:30~14:30でギャラリートーク有。定員あり、要申込
会場:
羊画廊 [新潟市]
うさぎについて/
うさぎを飼いたいと思うことはなく、うさぎについてあれこれ検索して調べることも特になく、うさぎと言えば
うさぎ年に“うさぎのマスク”が云々と新年に書いたくらいしか思い当たらないのだけれど、ユーチューブのお薦めに、なぜか「うさぎの飼い方」的なサイトがいきなり出てきた。
なんとはなしに見てみると、オーストラリア在住の日本人女性が運営しているもので、うさぎを自宅内に放し飼いしている光景も微笑ましくてよいのだけれど、それよりも何よりも、このかたがYouTubeに情報をあげた動機として「(うさぎの飼い方に関し)英語で得られる情報(=英語圏ではもう常識とされていること)と日本語で得られる情報」にまったく違うことがありその差に驚いたことを挙げていて、差異が大きくあることのほうに興味をもった。
例えば、日本の(うさぎ飼育の専門家とされる)サイトをいま見てみたら、飼育環境について「うさぎは犬猫と異なり、ケージ内で飼育されることをまず念頭に置き…」とあり、ケージ内飼育は日本では一般的なことなのだろうけれど、でもこれは英語圏での“常識”ではなく、異なるらしい。
YouTube動画
うさぎのみみ/Mimi The Bunny
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放し飼いのすべて1から教えます! 海外のうさぎ飼育
ちなみに私が一番最初に見た動画がこちらの「
ケージ飼育による負の連鎖」。
イギリスでは、うさぎ飼育の最低面積が3m×2m×0.7mと法律で決められているらしい。ケージどころか畳で言えば4畳弱ですね。
また「野菜の与え方」についても真逆なことが言われていると(重要なことだから途中でスキップするなと言いながら)力説されているのを見ました。
うさぎに野菜を毎日与える理由 PART1
打ち合わせにより新たな面白い展開が生まれ…と書いていたが、展覧会用にと土曜日に受取ってきた作品は約30と、当初考えていたものより大幅に多くなっている。整理のために昨日の日曜はさっそくそれら作品の写真撮影を。
だったらば作品撮影に関連した画像を今日はアップすればいいのだろうけれど、展覧会開催は5月とまだ少し先だからと、土曜日の受け取りに向かった行程での写真を載せることとした。とはいっても別にすごいものでもまったくなくて、高速道の途中で米山SAに入ったら、何やら足場が組まれていて、そんなさまを面白がって撮ったもの。
アリバイ写真のように米山SAでは海を撮ってもみたがそちらは割愛。帰路に立ち寄ったPAでは、設けられていたコンビニの看板がセピア色だった。
展覧会の打ち合わせと作品の受け取りのため本日は上越市(高田)に。
打ち合わせにより新たな面白い展開が生まれ、気をよくしながらの帰路は、2020年12月に亡くなられた洋画家・村山陽氏の作品を展示するために同地に設立された「ギャラリー陽」に。
現在は「雪の世界~雪・積もりつつ」というテーマを基にセレクトした作品を展示中。

ギャラリー陽 2023:雪の世界/1月13日~2月末日まで
開廊日:金曜・土曜・日曜・月曜のみ。10:00~16:00
上越市平成町109
御菓子処ほそ山の隣 [
グーグルマップ]
※3月3日~は「お濠の四季」と題した展示を開催
(2023.02.25 pm17:30)
佐藤秀治氏のレビュー、そのvol.5である。今回は約20年前の、2002年に新潟日報に寄稿された一文。
論考の対象は「原生」シリーズで知られる柏崎在住現代美術作家の個展。会場のスペース的な制約や、(当時作家が好んで使ったゴム等の)匂いを発する作品がNGなカフェ内展示ということもあり、ここでの個展は(原生シリーズではなく)紙作品をフレームに入れての作品群となる。「戯(ざれ)」と題しての、写真を基にしてのミクストメディア。
大作の、力で迫り圧倒するような、そんな作品発表の多い作家に対して、会場スペースの制約(言い換えると=特性)は逆に、今からすると珍しさ(=貴重さ)も生むかもしれない。
写真を素地に戯れ事の世界 ~関根哲男展
評:佐藤秀治(美術家)
●2002年10月1日 新潟日報文化欄 掲載
長岡市・カフェ&ギャラリーZenにて2002年9月24日~10月6日に開催
シリーズ「原生」で、新境地を確立した関根の仕事は、特大の画面に密度の高い作り手の行為を、集積してみせることであった。その重厚な表層が奏でる旋律は人の営みの崇高さとともに見る人を魅了した。また関根は素材や支持体に重きをおき、ゴムや化繊を巧みに扱う作家である。際立ちは、気が遠くなるほどの痕跡の凄まじさである。関根の固有な世界は、まさに「表現が思考を超えた瞬間」を明確に提示している。
思考と表現は、アーティストにとって大きな命題であり、「常に思考無くして、表現は生まれ得ない」のである。現代美術の作家たちは、日常の中で故意に、ものと戯れ、また敏感に事象に反応し、純粋な思考の遊戯を楽しんでいるのである。
それは作家たちのプライベートに属する営みで、表現の源流ともいえるものである。こうした反復の中で、物事の在り方や関係などを吟味、思考し、新たな表現の意味や価値を探っているのである。鍛錬や修練とは異なり、余興、即興芸に似た味わいを含んでいる。
今回、関根は身辺を見渡して写真を撮り、それを作品の素地として、後にアクリル絵の具でドローイングを施した非日常的作品=写真=を出品している。タイトルに「戯(ざれ)」の一文字を充て、大・小合わせて34点。知られざる作家の創作意欲をかき立てるエキスを探し出し味わってほしい。

戯 2002
今度の、といっても開催はまだ少し先だが、アトリエZen企画展の作品数や構成を検討中。
その検討用のメモ図の一端を、最近街歩き写真を撮ってないからと本日の写真としてみた。まだ検討メモの段階でこれ見てもわかり辛いだろうけれど。
Goose houseのメンバーだった竹澤汀さんが出していた
ミニアルバムに「身から出た唄」なるタイトルのものがあると知った。
諺の「身から出た錆」をもじった表題を面白くみながらも、そういえばその諺はシンガーソングライター熊木杏里さんも初期のアルバムタイトルに使ってたなと思い出した。20年近くも前のアルバムである。はて、熊木さんは身から何を出したんだっけ?なんて思ってみたらもうすっかり忘れていると気づき、マイスキップに連載していたコラムで
当時そのアルバムを取り上げた(&近年になってそのことをblogに書いた)ことは憶えていたからとblog検索したら、「無から出た錆」だとわかった。「身」からではなくて、出たのは「無」からなのである。
以上はそんなかんなの長い前段であるが、結局何を今日は書こうとしたのかと言えば、そんなかんなで
熊木杏里「無から出た錆」を思い出し、かつ冒頭に収録されている「長い話」という曲がよくてマイスキップにはそれをネタに書いてたからと試しにユーチューブを検索したら2012年のライブ演奏が出てきて驚いた、ということ。
驚いたのは10年前の動画が出てきたということもあるけれど、彼女のCDはこの1枚を2005年か2006年に買い求めただけで映像での彼女を見ることも一切なく、だから最初の勝手なイメージで(山崎ハコさんみたいに)アコースティックギター1本での弾き語りなのだとばかり思い込んでたこともある。ピアノ弾いてる!!なんて驚きながらも、10年前の、でも初めて見る映像をどこか懐かしくみたのである。
長い話/作詞・作曲:熊木杏里【Live 2012 10th Anniversary】
https://www.youtube.com/watch?v=Jw04rRHWWB0