氏の作品について長岡市ギャラリー・イーズでのインスタレーション(2007年)の画像を昨年末に挙げていた。菊の支柱竹を縦横に組むというこの作品を取り上げた理由を書けば、とても好きな作品であり、大作だということがまずあったけれど、作家自身が2008年はじめの「新潟現代美術家集団GUNの軌跡展」の際に執筆・発行した小冊子「私の“青の時代”」に於いて「先回のイーズでの作品は、私が私に誇れる作品であった」と明快に記していることも大きい。
この素材でのインスタレーションは2007年ギャラリー・イーズのほか、屋外の大階段広場・踊り場を舞台とした「弥彦・野外アート展」、美術館庭園の緑の中に展開した翌年の「今井美術館個展」と、特性を大きく違えての三会場でおこなわれていて、下に載せるレビューはその今井美術館個展に関し(同様にこの場所でインスタレーション個展をおこなった)前山忠展とあわせ、新潟日報紙の文化欄に大きく取り上げられたものになる。

竹や角材配置「空間」が作品
変化する新たな視界 ~佐藤秀治・前山忠 各々のインスタレーション個展
評:外山文彦
●2008年10月9日 新潟日報文化欄掲載
インスタレーションという表現手法がある。直訳すると「設置」。ある空間のなかに事物を置くことを意味するが、単に置くだけでなく、天井、床、壁など、それを取り巻く周囲も作品の要素とする。空間全体を作品とする点でオブジェとは異なる。
「大地の芸術祭」をはじめ近年の国際展をみると、絵画や彫刻、いわゆる平面や立体といった枠にとらわれない表現が主流であり、映像やパフォーマンスなどとともにインスタレーションは有力な表現スタイルになっている。見附市・今井美術館で先月今月と相次ぎインスタレーションによる注目すべき個展が企画された。佐藤秀治(長岡市)、前山忠(上越市)という、ともに県内現代アートの草分け的存在の作家によるものである。
佐藤秀治展(2008年9月5日~14日)は、菊の支柱(竹製)を縦横に組んでの作品。立体構成としての造形美というわけではなく、自然界でクモが巣をつくるように竹を1本ずつ紡ぐように組む。この素材自体でいえば、昨秋の弥彦野外アート展に端を発し、その翌月に長岡のギャラリー空間で室内インスタレーションへと昇華させたものと同じであるが、作品の表情は軽やかに変化する。現場制作時の空気や時間をとりこんでのその味わいの差異は、インスタレーションならではのものといえるだろう。
開催中の「前山忠の視界2008」(※10月3日~26日)は、タイトルが示す通り「視界」をコンセプトとする。「何気ない日常の情景や風景のなかで出くわす、何か目をひく場面。その一部を意識的に切り取ったり、持続させるような仕掛けをしたい」と自身が語るように、近年ライフワークとして追究するテーマである。
美術館ギャラリー、庭、旧工場跡である別館の三会場を駆使し、それぞれで趣向を違えたインスタレーションを行っている。ギャラリー(室内)と庭(屋外)で使う素材は同じもので、3.5センチ角、長さ4メートルの角材、合わせて約百本である。
庭ではその角材を、既存の彫刻や石、立ち木、建物の外壁、竹林など、もともとそこにあるものと相互に関係させながら、一周、巡らせるように配置する。
前山は、木のフレームを設置して新たな視界を呈示する作品を各地で展開しているが、ここではそれを連続化させる。動きのあるダイナミックな構成で、シリーズとしての新たな局面もそこにみえるが、鑑賞者がその「場」に遭遇することで新たな視覚体験をさせる「仕掛け」にこそ作家の真骨頂があろう。
一方、ギャラリー空間では、建築の小屋組みを模したように角材を配置して俯瞰的にみせる。見せ方としての面白さもあるが、よくみると床や壁に対して意図的なズレがあり、角材も互いに平行ではない。直方体の建築空間のなかでのそうした微細なズレの蓄積が、庭作品とは違う「視界」を意識させる。素材の違いがない分、「場」の特性がより鮮明に浮き彫りになり、インスタレーションとしての魅力にあふれている。
(評者:フリーキュレーター・美術作家/※掲載時の肩書き)