今朝に続けてもうひとつ
先週の上京時の話。
ウィリアムモリス「195人の作家から届いた、手がみ展」に向かうため降り立ったJR渋谷駅からは、最短ルートだからと銀座線渋谷駅脇の高架歩廊経由で渋谷ヒカリエを抜けた。その際に大きく掲示されていたのが、当のヒカリエで7月8日から開催されるソール・ライター。生誕100年を記念しての展覧会とのこと。没後10年でもある。
ソール・ライターの原点 ニューヨークの色
[
同展を伝える美術手帖の記事]
マティスは感慨深かった。
ポンピドゥー・センターが主催に加わっているし、いい作品がくることはわかっていた。だから作品そのものがそうなのだが、もう一つ加えるならば、私が学生の時分は「(ピカソと並び称される20世紀の巨匠であるにもかかわらず)日本ではなぜか一般での知名度がない」と巷間言われていたのに、いま大勢のひとが熱心に観られていたこと。ちょっと大袈裟な言い方をすると隔世の感さえあって、マティス好きとしての感慨深さにつながった。
昔“なぜか一般での知名度がない”ことに対し、マティスは作家だったり美術関係者には好むひとが多いと美術手帖あたりで読んだことがあり、誰がどういった文脈の中で書いたのかはもう覚えてないが、そういう感覚はたしかにあった。
実際、「世界初公開-巨匠たちの殿堂 ルノワール、セザンヌ、スーラ、マティス…」と謳われた30年前の「バーンズ・コレクション展」(国立西洋美術館)は、門外不出の名高いコレクションが(初めてにしておそらく最後の)来日とあって当時「空前の」記録的大混雑となったけれど、入口入ってすぐルノワールの超混雑ゾーンに対し2階の展覧会最後のほうに設けられたマティスの区画は驚くほど空いていた。
作品が悪いということではなく、むしろ「生きる喜び」(1905-1906)をはじめ群を抜くほどの良質なコレクションで、じっくりと浸りたいマティス空間が出来ていたから、その空間を贅沢に堪能しながらもやはり一般での知名度はないんだな(勿体無いよな)なんて思ったものである。
今回のマティス展では(30年前とは全く違い)ひとりその空間に浸るなんて贅沢は望めもしなかったけれど、そんな経験から、ふだんは嫌いな人混みをむしろ愉しむかのような感慨深さにも至ったのかなと後から考えた。
下の画像はその1994年の「バーンズ・コレクション展」(右側)と1997年東京都現代美術館「ポンピドーコレクション展」の図録。いずれもマティス作品が表紙に使われている。
こちらは今回のマティス展の図録。表紙の絵は3つのなかから選べるようになっていて、私はこの「金魚鉢のある室内」をセレクトした。紙袋は有料だったのでどうせならと50円のマティス展専用の袋に入れてもらった。推理小説をよく貸してくれるKさんは美術好きでもあるから、何か本を貸すとか返すときの袋にでも使おうかとは思っている。
長岡小嶋屋CoCoLo長岡店でおこなっている店内展示、2023年後半期の案内DMです。
CoCoLo長岡店 “蕎麦×アート”
vol.80
●2023年7月18日(火)~9月17日(日) :
新田紘平展 [現代アート]
vol.81
●9月18日(月・祝)~11月12日(日) :
島倉哲郎展 [絵画]
vol.82
●11月13日(月)~2024年1月8日(月・祝) :
舟見里留展 [切り紙による表現]
9月にビル設備メンティナンスによる全館休館日が予定されていてその日は定休日となります。年末年始は営業時間等変更になります。定休日はCoCoLo長岡に準じます。
●7月17日迄は
田中あかりさんの絵画5作品を飾っています
先日の都美術館では地下の(エントランスゾーンはそもそも地階だからより地下となる)嘗て彫塑室と言われてたギャラリーで、「都美セレクショングループ展」なる企画がおこなわれていた。都美セレクション…とは新しい発想によるアートの作り手の支援を目的としたもので、そうしたグループ展を公募し同美術館が審査、3グループをセレクトしておこなう企画。2021年に選ばれた「
体感A4展」には昨年
アトリエZenも深く関わっておこなったギャラリー湯山企画に参加してもらった巳巳さん(東京都)が出展してたなと頭に浮かべながら、マティスのあとはそちらも寄ることにした。
そのときの巳巳さんの作品は、同館を設計した建築家前川國男へのオマージュといえるもので、このギャラリーの(かつての大彫塑室の)大空間吹き抜け部分になぜか設けられている“1人用の展望台”に焦点をあわせたもの。その作品は
昨年のギャラリー湯山展のDMに掲載していて、
同展websiteにその経緯と作品制作時の画像を載せている。また「展望台」という呼称は(施設上この部分に正式な名称が付けられてないことから)巳巳さんが仮に付けたものである。

だから都美セレクショングループ展開催を知って喜んで立ち寄ったのは、改めてその展望台も見たいなと思ったこともある。係員のかたに写真撮影OKかと確認したうえで写真におさめてきた。
都美セレクショングループ展ではないが
私もこの地下の贅沢な空間で、インスタレーションを2002年と2004年の2度ほどおこなっている。なのでここに展望台らしき“出っ張り”があることは前から知っていて、昨年巳巳さんから「DMにこれを使いたい」と画像が送られてきた際も「ああ、あれね」と違和感なく受け取っていた。
でもよくある話ではあるけれどこの「知っていた」というのは曲者で、よくよく見ると建築的な構造が特殊で要は「知ってた」つもりだったと気付く。
鉄筋コンクリート造でこうした“出っ張り”を作る際はそのままRCで
cantilever(=片持ち)とするのが一番簡単で定石と思われるが、敢えて異種素材を加えた支持構造にし、手摺も壁面とつなげずにスリットを設けたかたちにしている。巳巳さんは先の作品での論考で
「『展望台』は前川國男の近代建築に対する問題意識の核心が現れている」と書いていて、なるほどたしかにこのわずか1個だけの小さなところに、構造からも建築家の意識が見えるよう。しばし堪能していたというわけだ。


都美セレクショングループ展2023/7月2日(日)まで
ギャラリーA:
リアリティのあわい/
ギャラリーB:
海のない波/
ギャラリーC:
絵の辻
blog更新がなかなかできずにいましたが先日東京に行っておりました。上野(東京都美術館)でのマティスから
渋谷・ウィリアムモリスへというルート。

マティス展はさすが混雑してました。日時指定事前購入チケットは、1時間毎の入場時間枠を予約指定しその時間内に入館すればOK(&入れ替え無し)というもの。新幹線で上野到着が12:22だったから「12:00-13:00」で予約を入れた。新幹線が遅延したりの可能性や余裕も入れて「13:00-」の予約とする手もあるけれど、万一の時はもうしょうがないとして無用な待ち時間を無くしたかった。「各時間枠の開始直後は混雑するから待つ場合がある」と聞いていて、まぁそうだろうなと嫌ったこともある(実際、帰り際に見たらそうした待ち行列が出来ていた)。
上野駅ホームから美術館まではせいぜい20分だろうか。美術館は駅前の公園のなかにあるから近いというイメージはあるが、ただ、公園自体広いし上野駅そのものが複雑だから慣れてない場合は注意を要する。
新幹線ホームは地下の奥深くにある一方で、美術館に向かう際の最適ルート「公園口改札」は地上3階レベルのいわゆる最上階にあり、しかもその導線はややこしい。上野駅の改札口は
こちらのサイトがわかりやすいが、一番大きな改札だからと間違って途中の1階「中央改札」から出たりすると、遠回りしながら高台になる公園まで上らなくてはならず、おそらく時間には間に合わない。

マティス展そのものについては後日に廻すこととして、上の画像は渋谷駅前。別に定点観測を狙ってたわけでもないけれど、宮益坂の下の交差点から撮ることが多い。前に撮ったときは
まだ工事中だった地下鉄銀座線の高架駅(左手前)は工事も終わり今は奥側JRのほうが大工事進行中のよう。


ウィリアムモリスの内部写真は撮ってないから、ビルの入口を。珈琲の看板に誘われながら奥に進むと、エレベーターの前に鉄のオブジェとメニュー表がある。30周年を祝福する大勢の“ハガキ”作品に囲まれながらこの日は、美味しいと評判のチーズケーキを食した。
ふと気になっていたので店主Kさんに聞いてみたら、「30周年」はこの渋谷のビルに移転してからの計算で、その前の山手通り沿いにあった4年くらいは含めてないとのこと。ちなみに私は山手通り時代に初訪問していて、
五十嵐祥一さんの個展だった。
195人の作家から届いた、手がみ展
会期;6月29日(木)まで/日曜・月曜・第三土曜日
(17)休み/
ウィリアムモリス
昨日記した、ギャラリー湯山の7月の企画展「NOTHING」。案内チラシに書かれた趣旨文には「NOTHINGという『在りよう』と表現を求めて17人の作家が切り込む」とあり、楽しみである。
NOTHING=何もないに対し、作家はどうアプローチするだろう。即座に簡単に思いつくのは、出展作家として名を連ねながらかつ作品リスト一覧表にも記されながら作品現物は「そこにない」という、作品現物がそのままNOTHINGという作品だったけれど、でもこれは、とある著名な作家が「会場に作品そのものはなく『作品がないと告げること』自体が作品」ということを10年も前に東京都現代美術館でやられているから、それだけだと今更感はある。
私は別に出展作家ではないが、思考のトレーニングに面白いからとNOTHINGについて考えていたら、特にシリーズ名称をつけていたわけではないが嘗て「描かない絵画」ということをやっていて、そんなことを(地方都市の、特に美術誌ではない)情報紙のコラムに書いてたなんてことを思い出した。絵画は描くものと一般に捉えられてるなか「描かない」ことからアプローチする点、NOTHINGとは逆説つながりとなろうか。
その5年前のコラム記事は
当時blogにも掲載していたので、以下転載してみる。ここには和紙を使ったと記しているけれど、近年使っている和紙とは全く違うもので、相当に薄く、障子紙のようなものだった。透けるほど薄い和紙を何枚も重ね、貼り合わせる。
紙面掲載画像にはそうした作品の写真を使えばよいのだろうが、一般の情報紙だからと考えたのか「キューブ形の焼きカレーパン」を採用したようだ。いちおう書けば5年前の話で同店の店長も(メニューも)替わっているから、そのカレーパンは今はないと思われる。
アート日和 vol.68 (長岡地域情報紙「マイスキップ」2018年11月号掲載)
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描かないことから描くを考える
先日のギャラリー湯山訪問時に「次回展覧会だ」と置かれていたチラシ。NOTHING。
先般
長岡でおこなっていた「舟見倹二+外山文彦展」に来場された作家が「いまNOTHINGというテーマを与えられていて、その制作に取り組んでいる」と話していて、それは面白いねとその時からとても興味を持っていた。直訳すると「何もない」。ギャラリー湯山ならではの切り口である。
7月8日(土)~30日(日)の土曜・日曜・祝日開館、初日はギャラリートーク等あり。
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