
昨日撮影した、長岡駅「東口」である。
特に変わった光景があるわけではないが、マイスキップの5月号でこの東口を取り上げたので、ちょうど通りがかりに撮ってみたもの。紙面では、長岡駅東口の特集をおこなっており、1980年代の再開発の前後から現在に至る変遷を取りあげている。
「アオーレ長岡」効果で長岡駅周辺は賑わっている、らしい、とよく耳にするし、また、マイスキップ紙でアオーレ長岡に関した特集はやらないのかと問い合わせも受けた。ペデストリアンデッキ(大手スカイデッキと名称変更したようですね)とアオーレと大型建造物の完成がたてつづき、たしかにいま長岡は駅前アオーレがブームのようだから、紙面ではその辺を特集すると一見よさそうにはみえる。実際、すかさず「アオーレ周辺の飲食店マップ」を作成したフリーペーパーもあったが、マイスキップでそれをやるにはなんだかストレートすぎるから、マイスキップ的にはさてどうしようと思っていた。
そこで視点を反転させ、駅前は駅前でも「東口」としてみた次第。
ペデストリアンデッキ自体、40年前に構想された「駅前広場全体を広く覆うもの」とは異なり、駅前広場全体からするといわば南側に特化してアオーレと大手通りと駅とを結ぶ。だからその完成でなにが大きく変わったかというと、市役所(アオーレ)が駅に直結したことを除けば、おそらく「駅東口から大手通りやアオーレへ一直線に結ばれ、東側からの往来が飛躍的に便利になった」ことが筆頭だろう。東口の立ち位置が大きく変わったということで、つまりはアオーレブームをにらみつつも少し視点を変え、“だから、いま”あえて「東口」、しかもその歴史というか現在までの流れを追おうという特集となったわけである。
もともと長岡駅やその周辺の変遷については個人的な興味も大きく、これまで何度か紙面で取り上げてきた。 「特集:長岡駅をめぐる風景」(2010年12月号)では過去3代にわたる長岡駅舎の歴史を紹介し、「特集:長岡駅前広場の変遷」(2011年10月号)では1970~80年代の大手口広場の開発の変遷をたどっている。その第3弾という意味合いも勿論ある。2010年の特集は現長岡駅舎「築30周年」の年にあわせ、資料も充実させた大型企画だったのだが、築30年をテーマにしたセールやイベントさえ巷間あまりなかったようで、検証は特にしてないがそこを突いて大きく取り上げたのはマイスキップだけだったかも知れぬ。 今回も同じように「大きな意味がありながらも、他の人がなかなか気付かない視点」で東口を狙ってみたわけである。
個人的にはこれまで知らなかった部分が明解になり、企画担当者とするといささか手前みそではあるが、よく出来た特集だと思っている。記事原稿と写真は前2回の特集と同様、執筆が建築技術者のKさん、写真提供が市内在住Nさんである。
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