氏は「悲惨な時代の対極にかろうじてバランスをとろうと」ガーゼを作品素材にしたが、さて今だと、あるいは今なら、どうバランスをとればいいのだろう。そんなことを考えていた。そもそも時代がそれを可能にさせるかどうか、そんなここ数年のいささか危うすぎる前提状況がある。ナゴヤカに乾杯が出来る朝、という志向(思考)は果たして可能だろうか。
(2014.8.15)
ナガオカナ夜に1999
会期:1999年8月17日~9月4日/ 会場:カフェ&ギャラリーZen

(今回の個展作品は)妻とのコラボレーションにした。作品作りは会場とのコラボレーションでもあり、その2×2の刺激合いがどんなかたちになるか、愉しい作業だ。若い頃(?)は俺が俺がと自分の中心に真実があるとばかりに、下手をすればコミュニケーション不能の袋小路にはまりがちだった。こんなふうにコラボレーションを愉しんでいるには、少しは成長したのかもしれない。
作品にはガーゼを使うことが多かった。ちょうどコソボ問題でNATOによる空爆が始まっていた。多くの人々が最新兵器にやられ、傷つき死んでいった。殺す技術は発展するが、傷は相変わらずガーゼで包まれるだけだ。そして、このやりきれない心の痛みも、せめてガーゼを当てるしかない。もちろん作品で戦争を止めさせることなどできはしないが、悲惨な時代の対極にかろうじてバランスをとろうとしている。
なごやかな、ナガオカナ夜に乾杯をしよう。
(五十嵐祥一)

8月7日 朝日新聞より
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