テレビを見ながらある女性選手が指輪をしていることが気になった。何指にしてるからこの女性は結婚してるとか、そんなことが気になるのではなくむしろまったく気に留めないが、ストーンの微妙なコントロールや速度に指先の研ぎ澄まされた感覚が必須なはずなのに、その邪魔になりやしないのかしらんと思ってしまったわけである。
絵を描くときも「指先の研ぎ澄まされた感覚」は必要で、わたしの場合は、手首から上、指先にかけて異物があるのがどうにもダメである。日常的にも。手首から上がどうも神経過敏にできているようで、だから指輪はおろか、それに気づいた大学1年の途中から腕時計もはめることが一切ない。 「クロッキーは手首の柔らかさを保つ訓練であり、目と手を繋げる訓練」と書いたことがあるけれど、手首の柔らかさ、すなわち手首から上はキーポイントで、そんな自分自身のことをカーリングみながら思ってしまったのだった。でもこんなことは、まぁ人それぞれ、の一言で片付くこと。
いつからか着目していた駅前ビル建設工事のシートが市松模様気味だった。
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