私自身のことでいえば、たぶん世代的なこともあるのか手帖への意識は少し違い出していた気もするが、まぁいまの大学生あたりだと想像もつかないかもしれぬと「美術を志すものからバイブルのように読まれていた」時代があったと書いたわけだ。その昔、大学教員をしていた彫刻家・堀内正和は「(教えている学生たちは)教師の言うことは聞かぬが美術手帖の言うことならよく聞く」とたしかエッセイにしたためてたはず。そんなことまで頭をよぎり、手元の著書を書棚の奥から取り出してみる。約50年も前、1972年1月に当の美術手帖に「坐忘録」と題して掲載された短文に記されていた。
その「坐忘録」がそのまま書名になった400ページを超える大著(エッセイ&彫刻論集)を買い求めたのは、 その72年ではなくもっとずっと後のことだが氏が再び(みたびかもしれないが)美術手帖にエッセイ連載していた年があり、私が学生の頃でリアルタイムで読んでいたから。「なんて面白い文章なのか」とそのころ毎月(本来気にすべき特集よりも)楽しみにしていて、本になると聞いて買ったのだった。 氏の彫刻も好きなのだが文章も好きで、古い記憶は定かでないから「おそらく」だけれど、彫刻よりも先に文章のほうに魅かれたのだと思われる。オチの付け方に特徴がある。
名著なのに絶版入手困難の本は、まだ付いている帯はボロボロだけれど形をかろうじて留めていて、そんなさまを撮って画像を貼ってみた。愉しみながらやったけれど、でもどうみてもこれは単なる「コレクションの披露」であって霜鳥さんのようにアートに昇華されたものではないよねと、そんな当たり前のことに気づくのであった。




坐忘録 オフザケッセ&クソマジメレクチャクチャ/堀内正和著・美術出版社