昔の長岡の画廊を調べているなんて言ったはいいものの、実際にそのあと続けて書いたのは少々違う内容。調べる過程で知人画家のアルバムから見つけた写真に、本来の目的とは違うことで興味をそそられ、そそられついでにそっちをテーマのコラムにしたわけだ。何にそそられたかと言えば、大雑把には、長岡の“街の風景”の記録的写真といったところか。現時点では予告となるが、発行されたら今月と同様blogにも転載したいとは思っている。

さて「昔の長岡の画廊」ということでは、地域情報紙マイスキップの2005年4月号で「長岡個人ギャラリーの20年」と題し、その前年に20周年を迎えたギャラリープロムナードの20年の歩みを取り上げている。もう15年も前。私自身のマイスキップ紙における初の企画面執筆である。
その記事中に使った(ギャラリープロムナードではない)周辺他画廊の画像が、自分で撮ったものなのに手元にデーターとして残ってないことが、いくつか調べていたときに気付いて気にかかっていた。だからこの際、当時編集したデザイナーYさんに「(15年前と古いものだが)記事の“左隅”に入れた画像、取り出せるだろうか?」と聞いてみた。 すると最初間違ったらしく、「左」ではなく「右隅」のほうに入れた違う画像が送られてきた。
それが上の画像で、まぁ間違いというのも何かの縁だしこちらは思い入れのある写真だからと、アップしてみた次第。 以前紙媒体コラムのほうにも(羽賀善蔵氏との絡みで)書いたことがあるけれど、ギャラリープロムナードでの私の初個展のときの一枚である。画廊のロゴが写り込んでいるからと特集記事に小さく入れてもらっていたのだった。
鉄のオブジェが真ん中に、奥の幾何学的抽象60号の油彩画はコンクリートブロック上に置かれる。左の小さな袖壁には展覧会の導入部だからと理由をつけ(こういう絵も描けるんだぞとよせばいいのに)アカデミックなデッサン小品を並べた記憶はあるけれど、画廊ロゴのシートに隠れて、もう見えない。
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