さて書きものと言えばblogでは、中之条で31日まで開催の「押入れ百貨店」について先日書いていたが、それについて地元のかたが「面白い考察をされるかたがレビューを書かれているから読んでみて」とSNSで発信してくださった。ありがたい言葉である。
その記事は本当は作品の内容についても触れるつもりで書き始めたものの、会場空間の面白さにまずその建築的なことで字数を喰ってしまい、いや紙媒体からの依頼原稿ではないから字数が増えても別にいいんだけれど、時間のほうが喰ってしまったようで、結局そこに展示されていた作品についてはあんまり書けてない。おまけに「写真は撮ったものの(撮るのが下手で)伝わらない」だとか「面白く撮れた写真は(肖像権の問題が気になってしまって)載せるのを躊躇した」とか、発信していただいたのにその書き方はなんとも申し訳ないといったところだろうか。
そこで先のものにひとつ付け加えるならば、DamaDamTalさんの「しかばね百貨店」と題されたインスタレーションについて。 「過去の個展や公演のチラシを(素材にして)紙粘土化した」と書いたのは、かつて私も「終わって不用になった個展DMのハガキ」を再活用した作品を作っていてそうした類似性や発想を面白く思ったこともあったからだが、もうひとつここでは大事な要素が加わっている。このコロナ禍のイベントでは、チラシを印刷しても店舗などいつものようには置いて(捌いて)くれなかったり、そもそも街に人出が無く配りきれなかったりするから“展覧会やパフォーマンスのチラシ”は大量に余ることも多く、それがこの作品にとつながっていること。印刷した後で公演延期になったり中止になったりして刷ったチラシ全部“余った”こともあるのだろう。 数日前の記述はそのあたりうっかり書いてなかったようで、時代性社会性を美術表現に含んだものとして追記しておきます。
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