この「雲をつかむ死」はアガサ・クリスティの中で有名ではない。
パリからロンドンに向かう飛行機のなかで起きた殺人事件。“後部客席”の最後尾の席に一人で座っていた女性が殺されているのが飛行中に発見される。ドアで区画された後部客席は18席ありそこに(殺された女性以外に)乗客が10人。うち一人は偶然乗り合わせていた探偵エルキュール・ポワロで、他に2人の客室乗務員。乗客は歯科医、伯爵夫人、耳鼻科の医者、令嬢、考古学者等々お約束のようにさまざまで冒頭の1ページ目には誰がどの席に座っていたかを示す「プロメテウス号後部客席見取り図」。クローズド・サークルのミステリーは粗筋だけで古典推理小説傑作のムードが漂う。
なぜ久々にクリスティをと思ったか、しかもさほど知られてない作品をなぜチョイスしたかの理由ははっきりしていて、それなりに面白そうな粗筋からではまったくない。粗筋を見たのは後からのことで、端緒はプロバブリー商會のblog(ハッピーエンド急行)の書評に興味を魅かれたからである。
具体的にどの部分かというと、長くなるが抜粋引用(赤字)すると
非常に感心したのは、ポアロが乗客たちの持ち物リストを見てただちに犯人の目ぼしをつけてしまうところだ。ポアロは早くから乗客の持ち物リストに関心を示すが、警察が入手した持ち物リストを一通り見た途端に捜査の方向性は分かったと発言する。刑事は半信半疑で、「まさかこれで犯人が分かったなんて言うんじゃないでしょうね?」と問いかけるが、ポアロは「事件の性格からあるものが見つかるだろうと予想し、そして見つかりました」と言うのみだ。持ち物リストは全部記載されているので私も目を皿のようにして眺めたが、当然ながら何も分からない。
そして最後の謎解きにおいて、ポアロはそれが何だったのかを説明する。それはまったくロジカルかつリーズナブルな推理で、この推理がほとんど真犯人に直結しているのである。この部分を読んで、あの論理的推理の大傑作『Xの悲劇』を思い出した。
この「『Xの悲劇』を思い出した」という所がとにかくミソである。「Xの悲劇」を読んだことのあるひとならこの文脈からすぐ「あのことか」とピンとくるだろうが、至極シンプルな事実ひとつから明解かつ論理的に事件を解き(たいていの)読者をあっと驚かせた、一番最初に起きた電車内殺人事件のことである。中学生の時に読んだその衝撃を忘れてなく、ならばぜひ読みたいとなった次第だ。
さて「雲をつかむ死」においては謎が2つ呈示される。
ひとつは上記の「ポアロは乗客それぞれの持ち物リストの何に着目し」犯人を導いたのか、という点。もうひとつは、衆人環境にある客室内で犯人はどのように、誰にも見られることなく殺人をおこなえたのかという点。犯行手口である。
解決編を読み、前者の持ち物リストの謎についてはなるほどである。実に鮮やか。 一方、後者の「犯行の不可能的な興味」については、こういう類いのトリックの存在も何かで聞いたことはあるけどもここではけっこう運に頼っちゃうよなというやり方で現実的ではなく、簡潔に言えばつまらない。だからハウダニット(どのように犯行に及んだのか?)への興味ばかりが強いと肩透かしをくらいやすく、この作品が巷間あまり評価が高くないのはそのあたりにもありそうだ。でもわたし的には持ち物リストからの推理の鮮やかさに全体的なテンポのよさもあいまって読後感は悪くなく、面白く読めたといえる。
先のプロバブリー商會氏は「本書の謎解き部分の美点は、前述した持ち物リストからの推理に尽きる。全般に手堅い佳作という印象で、一通りクリスティーの有名どころを読み終えた人がその次ぐらいに読む作品じゃないか」と締めている。 うまく書かれるものと思う。
●雲をつかむ死 (クリスティー文庫)/アガサ・クリスティー
●Xの悲劇【新訳版】 (創元推理文庫) /エラリー・クイーン , 翻訳:中村有希
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