前山さんの作品云々と書きながらいま頭をよぎったのは、春にこの場所(ギャラリー湯山)で開催した「外山文彦展×巳巳展」で、閉幕の直前に巳巳さんが「(2人の作品に対して)前山さんの作品が“てこの支点”のような効果を与えていた」と発言していたこと。そのことは今夏に制作した記録冊子に“あとがき”的に収録はしたものの、閉幕直前であったためかblogに記せてはなかったようだ。1,200字とblog的には少々長いけれど、だから下に転載することにした。画像は、その“あとがき”頁に掲載している前山さんの作品“三景”。こちらはblogには個々に掲載済。

blog掲載/上:6月24日、下段左:4月27日、下段右:6月27日
あとがきにかえて ●記録冊子「外山文彦個展2022」より
巳巳展×外山文彦展では2人のアプローチが「違うこと」を特徴に挙げ、対称的と自ら言ってきたが、実は2人には共通点も多い。最後その点に触れておきたい。
共通点の多さの指摘は、展覧会の終盤6月21日に巳巳展の感想をblogにアップ(本紙p.16)した直後、巳巳さんとのメールのやりとりの中で氏からもあり、以下のように記されていた。抜粋して転載する。
「壁に書いた文章の内容を省けば、私の作品は非常にシンプルな造形であり場を活かしています。外山的アプローチと類似しているとも言えます。私はいま歴史に関心があり、人柱がリアリティを持っていたころの、自然と自我とが分かれていなかったような感覚をテーマとしていますが、しかしその話だけでは実現できず、必要なのが造形です。
場への造形。この“場”は3次元空間のことのみではなく、歴史を伴う重層的なものであるということが大事だと思います。さらにいうと(今回の展覧会では)前山さんの作品が“てこの支点”のような効果を与えているのではないかと思っています。」 (巳巳/2022年6月21日)
私が使った重層的という言葉はかなり吟味してセレクトした一語だったが、それがアンサーソングのように返信に引用されていて、てこの支点なる着眼は展覧会の“まとめ”的な側面があるとも受け取った。
ここで言う「前山さんの作品」というのは、長く空き家だったこの古民家が2006年の「大地の芸術祭」で再生されるときに設置されたもので、以降このスペースに常設されている。「てこの支点」という表現は独特で面白い観点だが、私はそれとは別に「触媒」という言葉が頭に浮かんでいた。支点とか触媒だとかその区別や定義は置いておくにしても、展覧会に於いて氏の作品や存在は大きかったと改めて思う。
そこで最終ページは、前山さんの作品(木のフレーム)越しにその枠で空間を切り取った展示風景を載せる。私が受付当番日の夕刻、戸締りを終えて帰る直前に暗くしての撮影で、つまりは一般来場者は接しえない光景である。その下の2枚は庭に設置された氏の屋外作品(黄色に塗られたフレーム)で、作品搬入時と作品搬出時。ロングランの展覧会は搬入時の“庭に雪”から最後は夏の風景へと変わり、その移り行くさまを作品は見続けていた。
2人に共通点が多い点については、とある美術館に勤務されているかたが来場後にSNSに投稿していて、共通点(作品化するスタイルに重なり合うところがある)のほか、近すぎない関係がよいとあり眼に留まっていた。特に今回のような企画の場合、単に「友達だから」とか「友達同士でやろうよ」的に安易に組むことは避けるべきと考えていたから、なかなか指摘されない「近すぎない」ことへの言及は気をひき、鋭いところを突いてくると思った次第。最後の一言に入れさせていただいた。
(2022年8月10日)
● 巳巳展×外山文彦展 website [過去記事index]
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