ヒトの数え方で「●名」と「●人」とはどう違うかがテーマだったようだが、むしろその解説の過程で出てきた例えば野球でいう「三者残塁」とか学校での「三者面談」とかの、「者」の持つ意味に興味をもった。たしかに「三名残塁」や「三人面談」とは言わないし、そんな言い方されたら違和感しかない。
解説の学者氏が言うには「“者”は互いに立場が違うとき」とのこと。野球では三塁ランナーは本塁を目指し、二塁ランナーは三塁をとそれぞれ立場や目的が違うという説明に、全員ホームを目指すんじゃないかしらと一瞬思ったけれど、一塁ランナーは自ら意図して牽制球にひっかかり(自分はアウトになってもその隙に)三塁ランナーに得点させるトリックプレーもあるから、そう考えると立場はたしかにそれぞれ異なる。
美術展では2作家が展示する形態でよく「2人展」という言い方をするけれど、そのときの2人に(特に企画モノでよくある)思考や立場がそれぞれ違うケースは、通常聞き慣れない言葉の「2者展」が言語学的にはいいのかという感想を持つ。
先日柏崎・游文舎の「偕子・風間=オベール、霜田文子展」について、拙企画の展覧会と会期が(ほぼ)同一だと書いていたが、共通する点をさらに挙げると、どちらも2作家の展示であること、でありながら展名に「2人展」という表記をせず、DM内にもそうした記載は一切ないことがある。游文舎のほうは深意を聞いてはないが、アトリエZen企画(print works― 舟見倹二+外山文彦 展)のそれは意図的である。互いの立ち位置や企画趣旨からも2人展という呼称には相当な違和感があったからだ。まぁチコちゃんに教えられ国語として言うなら2者展となろうか。
さて上記2展の共通点をもうひとつ挙げると、2作家の作品で展を構成するにあたってのコメントが、両展ともDM内(裏面)に記載されていること。大事な点である。またその内容は、拙企画の割と直截的な書き方に対し遊文舎のほうは現在の社会状況も関係づけての長文で、その違いも面白く思った次第。
偕子・風間=オベール、霜田文子展のその一文は游文舎のサイトにはまだ掲載されてないが、おそらく後日載ることだろう。舟見倹二+外山文彦展のほうは既にwebに掲載しています。
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